【PUBLICITY 1953】2013年11月22日(金)
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▼下記の文章、まだ発信していなかったっぽい。やれやれ、何
ヶ月前に元のメモを書いたのか、自分でも忘れてしまった。た
ぶん夏。昨今の沖縄をめぐるマスメディアについての雑感です。
【「人間」の境界線/沖縄の絶望】
▼「差別を正当化する回路」について考えている。
「〈日本人〉にとって誰が〈人間〉なのか」
といったタイトルのほうがしっくりくるのかナ。
沖縄報道の次は、いわゆる「歴史認識」をテーマにしようと
予定していたが、沖縄についてもう少し続ける。
一読、絶句してしまった文章を思い出したからだ。
▼それは、朝日新聞の月刊誌「Journalism」の2013年4月
号に載っていた。沖縄タイムス記者の渡辺豪が書いた、沖縄報
道についての嘆きだ。
「良心の呵責に訴える空しさ」という見出しの下、彼はこう書
く。適宜改行した。
差別している側は「差別の本質に向き合い、是正すべき」なの
だが、こうした論説が今悲しいほどに通らない。差別の糾弾は相手の「良心の呵責」に訴える面があるが、それ
は相手(本土世論)の人格に多少なりの期待があるからだろう。
しかし、筆者の実感としては、口にするのもつらく失礼を承知
で強(し)いて言うが、「期待するだけ無駄」
なように思われる。
▼彼は沖縄タイムスの特別報道チーム兼論説委員である。これ
までに出した本もたくさんある。その彼をして、なんというこ
とだろう、この深い絶望感は。
彼ひとりに限らない。「琉球新報」の社説も、沖縄差別を論じ
る時、文字通り「闘う社説」という表現がふさわしいが、その
節々に絶望感が滲(にじ)んでいる。
▼渡辺の「Journalism」論文は絶望を乗り越えようとし続ける。
「今必要なのは、沖縄への過度な基地負担の継続が『日本全体
の国益に照らしてマイナスである』という論説の提示ではない
か」
と訴え、彼は本土と沖縄との「共通の利害」を模索する。
たとえば尖閣問題について。
沖縄県民にとって「武力衝突の回避」が最重要だ、これは「国
民全体のメリットと齟齬はないはずだ」、だから「軍事的緊張
を高める沖縄の基地強化」は、本土にとっても弊害であると気
づいてほしい――。
「だが、こうした『説得』もおそらく効力はない。米国が『沖
縄リスク』を直視する局面が生じない限り、日本は思考停止を
続けるだろう」……ここにも絶望が透けて見える。
▼また、「『なし崩し』に加担するメディアの『客観性』」と
いう見出しの下、
「解決すべき問題を(解決するまで)報道すべきだ
というニュース価値判断は成り立たないのだろうか」
と読む者に投げかけられる問いの、なんと当然至極なことだろ
う。何度、この問いを踏み躙(にじ)られたのだろう。ぼくは、
何度も絶望をくぐったがゆえに練られた言葉だと感じる。
▼大きな転換点は、今年(2013年)1月、県内のすべての
首長が参加した「東京要請」だった。繰り返そう。「沖縄県内
のすべての首長が参加した」のだ。しかし、この巨大な異議申
し立てが、本土の態度をほとんど何も変えられなかった。「既
存の政治の回路では基地問題が解決に向かわない現実を県民は
まざまざと見せつけられた。この影響は小さくない」
▼「期待するだけ無駄」という通奏低音は、結論近くでもう一
度浮かび上がる。
「(座り込みなどの抗議活動によって)物理的に米軍の基地運
用に支障を及ぼせば、『違法行為』と判じられるかもしれない。
このときもなお、大手メディアは『沖縄を追い詰めた当事者』
という自覚を欠いたまま、『客観報道』に徹することだろう」
そのとき沖縄は、まったく役立たずな「既存の政治の回路」と
は異なる方法を用いて、必ず、さらにハッキリと自らの意思を
示すだろう。(沖縄の地元紙を10日分ほど読んでみれば、中
学生レベルの日本語読解力のある人なら、「これはヤバイ」と
わかることだ)
「それ」は、決して難しいことではないのだ。たとえば「普天
間のゲート前」に、「県民大会参加者の100分の1の人数」
が集まるだけで、「基地機能は麻痺させられるのだから」。
しかし、こうした沖縄の情況がすでに「民族問題」と呼ぶべき
問題であり、「国家の異常事態」であることに、琉球の人々が
「これまでとは異なる方法」へ踏み切ったその時点でもなお、
気づかない人のほうが、本土には多いのかもしれない。マスメ
ディアの「客観報道」ゆえに。
だとしたら、その報道は、そもそも「客観的」なのだろうか?
現在ただいま、何かに偏っているのではないのだろうか?
▼「沖縄差別を正当化している回路」を炙り出すためには、何
が必要なのだろうか。
渡辺論文には、「(大手メディアの政治部や外務、防衛省の担
当記者について)政府官僚の意識・感覚とあまりに似通ってい
て、担当記者たちの『従順さ』には驚かされることが多い」「
等身大の沖縄を知る記者は一握りに限定されているのではない
か」という箇所がある。
この「一握り」の心ある記者たちが、それぞれの所属する会社
を横断して、さらに価値ある言論、文化を発信するために、何
らかの協同作業に取り組む可能性はないだろうか。
もう一つは、「外圧」。この貴重な論文から、絶望感のほかに、
ぼくはそれくらいしか突破口たりうるものを見つけることがで
きなかった。
(つづく)
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