【PUBLICITY 1949】2013年9月23日(月)
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【オフノート】東郷和彦41
〈大学教育の体験〉
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tantumu scimus,quod memoria.
我々は、我々が記憶せるもののみを知る。
キケロ
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【最初の授業の驚き】
――歴史観を比べる重要性について、以前、日本と韓国の歴史
教科書について書かれましたが、日本とロシアをパラレルに描
く試みも始まっているそうですね。
東郷 五百旗頭先生と下斗米伸夫先生が中心になって進めてお
られます。興味深い取り組みです。
――東郷さんが京都産業大学で授業をもつようになって、予想
外の出来事などはありましたか。
東郷 私は担当しているのは「東アジア外交史」という授業で
す。アメリカのプリンストン大学で、ローズマン教授と「東ア
ジアの戦略思考」という授業を担当しました。
京産大では、プリンストン時代よりも歴史問題に重点を起き、
帝国主義の時代、冷戦時代、ポスト冷戦という時代の流れのな
かで、東アジアの各国がどのようなアイデンティティーとスト
ラテジー(=戦略)を持つに至ったか、という内容です。
2009年に初めてその授業をしたのですが、1回目の授業を
終えた時点で、「近現代史から遡(さかのぼ)って教えたほう
がいいんじゃないか」と思いました。そうすると時間切れで近
現代史の内容を取りはぐれることは絶対にありませんから。
――それってNHKの「さかのぼり日本史」に似ていますね。
東郷 そうなんです。授業を始めた当初はNHKの「さかのぼ
り日本史」の存在を知らなかったのですが、先を越されていた
(笑い)。結局2012年に初めて京産大でそういう授業をし
ました。今年2013年の4月から第2回目です。この授業を
通して大変貴重な経験をしました。
NHKの番組は、日本史をさかのぼる内容ですが、私の場合は
「さかのぼり東アジア史」ですね。五つの国の歴史を追う。と
にかく自分でやってみようと思ったんです。
――なにか直接のきっかけがあって、「さかのぼろう」と思っ
たのですか。
東郷 去年の「東アジア外交史」の最初の授業で、学生たちに
あるプリントを配ったんです。
【註】
▼ここで東郷さんは、ノートに何本かタテヨコの線を引き、学
生に配ったプリントの中身を再現してくれた。それは、タテ軸
に四つの時代区分、ヨコ軸に五つの国名が書かれた、合計20
の空欄があるプリントである。
四つの時代区分は、「1850年以前」「1850年から19
45年まで」「1945年から1989年の冷戦終結まで」、
そして「1989年以降」。
そして五つの国は「中国」「韓国」「日本」「ロシア」「アメ
リカ」である。
東郷 合計20の空欄に、なんでもいいから国際関係で重要だ
と思う出来事、事実、知っていることを書くように言いました。
第一回の授業時間の90分のうち40分ほど使って、そのプリ
ントに名前を書いて出してもらった。
ほんとうに驚きました。いちばんブランク(空白)が多かった
のは、ここなんですよ(そう言って東郷さんは「1989年以
降」の欄を指さした)。
――冷戦以降、ですか。
東郷 そうなんです。彼ら自身の育ってきた時代、つまり「現
代」のブランクが圧倒的に多かった。
――学生は日本人ですね。
東郷 ええ、250人の学生のうち、ほとんどが日本人です。
留学生が10人くらいだったかな。
とにかくショックでした。この1回目の授業の結果を受けて、
私は2回目の授業から、予定していた授業の順番を全部ひっく
り返したんです。授業は全部で15コマでしたから、すでに1
回使っているわけで、まず「1989年以降、今日まで」で4
コマ、「1945年から1989年の冷戦期」で4コマ、「1
850年から1945年の帝国主義」で4コマ、最後に「18
50年以前」で2コマ、この順番で授業しました。
――面白いですねえ。
東郷 たいへん面白かった。パワーポイントを使い、さらに歴
史的動画をYoutubeを使って導入しました。今年はさらに修正
を加えます。学生と一緒に勉強したことで、大変思い出に残り
ます。
また、ゼミを通じても強く感じたこともあります。
――何でしょう。
東郷 それは、いまの学生は、高校を卒業するまでに「自分の
意見」を人の前で言う訓練がほとんどなされていない、という
ことです。「他の人と違った自分の意見を言えることほど大事
なことはない」ということを、これまでの人生で一度も聞いた
ことがない学生がずいぶんいる、ということです。
――うーん、そうですか。
東郷 これは日本の教育の致命的な部分だと思います。しかし、
これほどひどいのか、と感じました。「たとえ他人と違ってい
ても、自分の意見を言ったり書いたりすることが、あなたがた
にとってクルーシャル(=決定的に重要)なんですよ」「意見
を言おう」「他の人と違う意見を言うことは、決して恥ずかし
いことじゃなくて、それこそがあなたがたに期待されているこ
となんですよ」と語り続けました。
裏を返せば、「みんなと同じことを言うことがいいことだ」と
いう、よくいわれているきわめて日本的な特徴だと思うのです
が、私は小学校時代に日本と違う場所で教育を受けてしまって
いるから、どうしても理解できない。
他人と違ったことを言うことが怖いという心理、それ自体を壊
さなくちゃいけない、という考えを、ゼミでも共有できるよう
に努力しましたが、その結果、「就活」などを通しても「積極
的に発言できた」と喜ぶ声をいくつか聞きました。「生き方を
考え直した」という声も聞いてうれしかった。
いっぽう、目覚めた人に、その意識に対応するジョブ・オポチ
ュニティー(=働く機会)があるかというと、簡単にはないで
すね。これも難しい問題です。月並みな言い方かもしれません
が、苦しみながら、自分でしか実現できないものを目指してが
んばっていくしかない。その手助けをできる限りしてあげたい
と思います。
【文化の価値】
東郷 いまの日本が成熟した段階に入っているのは間違いない。
ただし、私は成長率がゼロになっていいとは思いません。しか
し成長率が低くなってきた時の、新しい、文明的な生き方は絶
対に必要です。
冷戦時代、昭和時代は、経済大国へと一気に昇ってきましたね。
いま私は静岡県政のお手伝いをしていますが、静岡が掲げてい
る「富国有徳」という言葉は、これからの日本の目標にもなる
と思います。まだまだシェアされていませんが。
日本は国家としての目標がないまま25年間漂流しているよう
に見えます。「このままではダメだ」と思っている人が、いろ
いろなことを提言しています。私も「開かれた江戸」という考
えを発信してきました。
そうした意見が最終的に帰着するのは、私は「美」であり「文
化」だと思います。「ミネルヴァの梟」ではないが、日本はそ
の段階に来ている。ほんとうに世界に打って出ることのできる
「パワーソース」はどこにあるかと考えれば、経済力ではない
し、軍事力でもない。
文明論的に考えても、やはり「尖閣後の外交再定義」が決定的
に重要です。日本はもう一回、軍事力で戦うのか。私は違うと
思う。軍事力で失敗し、学んだものがあるはずです。それを、
中国に刺激されたからといって中国と同じレベルに堕ちるのか。
歴史を少し省みれば「そうではない」と気づくと思います。日
本の新しい平和主義の定義は、まさにこれからやらなくてはい
けない。その時に国内で内ゲバばかりやっていては話にならな
い。極端な左の平和ボケ――なにもしない――という姿勢もダ
メだし、中国と同じレベルで戦おうという右の平和ボケもダメ
だし、日本の平和主義はそのどちらに偏ってもならない。
そして、その新しい平和主義を持ちえたからといって、国際社
会では「so what?」(だから何?)なんですよ。それはミニマ
ムなんです。
――必要だが十分ではない、ということですか。
東郷 そう。その先に目指すべき国家としての目標があるはず
なんです。それは文化であり美だと思う。武器でもないし経済
でもない。日本が生き残るための基盤固めとして、新しい平和
主義が必要なのですが、日本が世界に対して見せる「国の姿」
はなにか、なにをもって日本が世界に対して発信できるのか。
少子化、高齢化に対応する社会づくりが不可欠である。それは
そのとおりです。しかしそれもまた、それだけならば、私に言
わせれば「so what?」なんです。「やっぱり日本はすごい」と
言わしめるのは文化であり美です。それ以外にないと肌で感じ
ています。
でも、文化とか美なんていうことを話題にすると「そんな余裕
はない」という反応が返ってくることが多い。もう少しだけ余
裕をもてないものだろうか、どうすればいいだろうか、と考え
ています。
【註】
▼『戦後日本が失ったもの』(角川書店)のなかに東郷さんの、
この文化への強い志向の原点が描かれている。
このインタビューをしていたのは六本木の喫茶店だった。文化
の価値をめぐる話になった時、東郷さんは喫茶店の窓の外をち
らっと眺め、「あれが美しいと思いますか? きれいな女の人
が映っていても、ちっとも美しいとは思えないでしょう?」と
、まったく無秩序に立ち並んだ雑多のビルのなか、はるか頭上
にそびえる、ファッションブランドの巨大な看板を指さした。
(つづく)
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