【PUBLICITY 1947】2013年9月21日(土)
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【オフノート】東郷和彦39
〈三つの領土問題――北方領土 その2〉
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vires unitae agunt
協力は事をなす。
クレアンテス
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【東郷・パノフ共同提言の価値】
――今年、東郷さんが発表した言論のなかで、最も影響力が大きいものは「東郷・パノフ共同提言」であることに、誰も異論はないでしょう。驚きました。
【註】
論文のタイトルは「日ロ平和条約交渉問題の解決に向けて」。
以下は朝日新聞の記事。
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2013年7月18日19時8分
「国後・択捉は経済特区に」 日ロ外交官OBが棚上げ案
【モスクワ=駒木明義】北方領土交渉に直接携わった経験を持つ日ロ両国の元外交官が、問題解決に向けた提言を共同論文で発表した。18日付のロシアの有力紙「独立新聞」に掲載された。歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)2島の日本への引き渡しの準備を進める一方で、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)2島については領有権問題を当面棚上げし、両国が共に経済活動ができる特区にするとしている。
筆者は日本外務省の条約局長、欧州局長を歴任し、2001年まで対ロ交渉に直接携わった東郷和彦京都産業大世界問題研究所長と、ロシア外務次官を務めた後、1996年から03年まで駐日大使を務めたアレクサンドル・パノフ米国カナダ研究所主任研究員。
論文は、4月の日ロ首脳会談で平和条約交渉再開の機運が生まれたことを歓迎。今後の交渉を進めるために、早急な成果は求めないこと▽両首脳を結ぶ非公式の交渉チャンネルを設けて率直な意見交換をすること、などの条件を整えるよう提言している。
さらに領土問題解決に向けた具体案も示した。(中略)
(1)歯舞、色丹二島を日本に引き渡す時期と条件について交渉する
(2)それと並行して、国後、択捉に特別な法的地位を与え、両国が経済活動することができる特別地域とすることを目指す――との内容。
国後、択捉を日ロどちらのものにするかについては将来の交渉に委ねる。
特別地域という考え方には前例がある。98年11月の日ロ首脳会談で、当時のエリツィン大統領が小渕恵三首相に対して、当面の間、四島全体に特別な法体系を適用して、共同経済活動に道を開くことを提案した。今回の提言はこの提案をベースに、歯舞、色丹二島の日本への引き渡しを進める内容を付け加えたものと言える。
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――乾坤一擲、「ここしかない」というタイミングで、「これしかない」という表現形式で、野球にたとえれば渾身のストレートを投げ込んだような、現在の状況下でなしうる最高の民間外交だと感じました。
東郷 ありがとうございます。
【二人で出来るだけのことをやらねばならない】
――パノフさんの「最大の問題は、現在まったく交渉が行われていないことだ。両国外務省はいずれも何かが起きるのを待っているのか、具体的な準備をしている様子が見えない。何かを始めなくてはいけない。そのための基礎を示し、交渉を前に進めさせるための提案なのだ」という一文が、共同提言の意味を要約しています。
また、「ハフィントン・ポスト」の寄稿で東郷さんは、安倍総理の訪露以降、領土交渉を進めようとする「風」がパタっと止んでしまった現状を憂い、パノフさんと「二人で出来るだけのことをやらねばならない」と話し合った、と書かれていますね。共同提言の内容は、東郷さんが繰り返し訴えてこられた「引き分け」論の具体化されたものだと思いますが、パノフさんとの議論は難航したのですか?
東郷 「基本」はピタリと合い、「細かな文脈」で議論を重ねました。具体的な作業過程は「ハフィントン・ポスト」に寄稿したとおりです。
【註】
「ロシア語のみをベースに作成された投稿案を、メール添付や、スキャンして修正テキストにし、英語のメールとロシア語の電話で話しあいながら、間違いが起きない最終案文に仕上げていく」(「ハフィントン・ポスト」2013年8月2日「二島返還・二島共同立法による北方領土解決案――東郷・パノフ共同提言の真意」)
東郷 二人が確かめた「基本」は、三つです。
一つは、「この案ならロシアにとっても、日本にとっても負けにならない」と思える案を産み出すこと。
二つは、その案を、これまでの交渉の中で相互に投げられた様々な案を活用し、組み合わせることによって見出そうとしたこと。
【註】
「結果として、98年の小渕訪ロでエリツィンから提案された「四島に対して、日本側の立法権による一部統治を含む特別経済特区を創設する」案と、2000年9月の訪日以来一貫してプーチンが言っている56年宣言適用の二案を同時適用し、国後択捉に対する共同立法と歯舞・色丹の引き渡しという、共同提案が生まれた」(「ハフィントン・ポスト」)
東郷 この案なら「妥結の基礎」になると考えました。
そして三つめに、「この共同提案は、決して唯一無二のものではない」ということです。
――ついに議論の叩き台の全貌が見えた感があります。これまでのどの「機会の窓」よりも、国民の目に情報がオープンになったように思えます。
東郷 この件に関してパノフと初めて会って打合せした際、お互いの原案を持ち寄りました。私は大学ノートに双方が「引き分け」と思える七つのオプションを書き、パノフに見せました。
――同じ「引き分け」でも、日本が有利な引き分けから、ロシアが有利な引き分けまで、合計七つの選択肢、ということですね。
東郷 そうです。じつは、パノフがまとめてきた案は、ちょうど私が考えた七つのオプションのうち、「真ん中」の案と同じだったのです。驚きました。そのスタート地点から議論を詰めていったのです。
――お二人の共同提言は、まず7月18日にロシアの『独立新聞』、翌日付で日本の朝日新聞に報道され、共同提言の全文の日本語版が朝日のデジタル版に掲載されました。ロシアでの報道を日本で追いかけるかたちをとったことにも、知恵が滲んでいると感じました。朝日の駒木明義記者の文章からは、「この共同提言は重要なのだ」という緊迫感が伝わってきました。
東郷 そうですね。私とパノフとの共同作業に加え、ロシアの『独立新聞』への投稿と日本の朝日新聞の協力という枠組みがあって、あの時点であのタイミングで発表できたということです。しかしまず『独立新聞』で発表された後は、共同通信、産経新聞、北海道新聞などの取材も行われ、幅広い報道に連なっていったように思います。ありがたいことです。
ロシアの独立新聞の〆切が迫り、しかしまだ文言が最終決定に至らず、私が東京から京都へ向かう新幹線のデッキで1時間ほど、モスクワにいるパノフから携帯電話がかかり、ロシア語で議論して最終的な文言を決める場面もありました。久しぶりに「外交」をめぐる「時間との勝負」を経験しました。
――9月5日、G20でサンクトペテルブルグを訪れた安倍総理はプーチン大統領と会談し、11月1日、2日に東京で「2プラス2」を開くことが合意されました。いっぽう、5月には「面積二等分論」が報道されたりしました。領土交渉の実務の当事者であった経験から、コメントをお願いします。
東郷 依然、厳しいことには変わりありません。まず、プーチンのシグナル(2012年3月1日のG8を代表する記者会見)を、日本の外務省は1年4ヶ月も放置してしまった。これには弁解の余地はない。ギリギリの戦いが続いています。
結局、領土問題をめぐる外交交渉の現場は、双方合わせて10人前後で決まるといっていいと思います。
私が北方領土交渉に取り組んだ際も、プレスへの不可解なリークが相次ぎました。それではとても「本音」で話せません。本音の議論は、当時の外務事務次官、政務担当外務審議官、総合外交政策局長、条約局長、欧亜局長の五人のみで議論し、決して他に情報が漏れることのないように細心の注意を払った。内部から佐藤優氏の強力な情報と献策があり、政治的には鈴木宗男先生の一貫したサポートがあった。
対するロシア側にはロシア外務省きっての知日派のパノフが駐日大使でおり、ロシュコフ次官とパノフの信頼関係は盤石だった。外務大臣には、ロシア側はイーゴリ・イワノフ、日本側は河野洋平大臣。そういう全体的構図の中から、イルクーツク声明が生まれてきた。決して偶然の産物ではないし、こういう構図の中にいたこと自体、非常に恵まれていました。「イルクーツク声明」への道を切り開くことができたのは、必然だったともいえるかもしれません。
現状は、当時とくらべると、非常に厳しいと言わざるをえません。現在任についている人について具体的にコメントすることは、差し控えるべきだと思っています。
しかし、あえていうなら、この10年間、ロシア側で交渉を進めようという意思をもち続け、かつ、それを適時に表明し続けてきたのは、パノフとプーチンの二人だけのような気がします。この二人のいる間に決着をつけるのが、日本にとって最善であると思わざるをえません。
日本側では、これからの事務レベルのキーパーソンは、総理のそばに谷内正太郎・内閣官房参与、兼原信克・内閣官房副長官補、外務省に齋木昭隆事務次官、杉山晋輔政務担当外務審議官、上月豊久欧州局長、石井正文国際法局長のチームになると思います。とてもすぐれたチームだと思います。
繰り返しますが、これまでのすべての交渉を総括すれば、解決は「引き分け」、そのもっともわかりやすい「交渉の出口」は「2島+α」です。未だに「α=ゼロ」と決めつけて、「四島一括」がでてくるまで待てという方もおられる。正義の旗を堅持すること自体が最高の国益だというご意見は承ります。
しかしそこに固執すれば、私の見るところ、予見される将来、交渉は動かない。その結果は、日本にだけ関係のない四島が、かくも日本に近く登場するということになります。あと22年たてば、正義の下の日本統治90年よりも、不正義の下のロシア領の統治期間が長くなっていきます。そこにおけるロシア住民はそこそこに満足した生活をしている。国際法でも、実効支配の重さは増えてきています。そういう状況が進行し、島はかえってくるでしょうか。
決着をつけ、事態を動かすところにいるのではないでしょうか。
(つづく)
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