2013年09月09日

東郷和彦29/「統帥権」雑感

【PUBLICITY 1937】2013年9月9日(月)
【オフノート】東郷和彦 29
「統帥権」雑感
offnote@mail.goo.ne.jp


▼「メルマ!」にコメント欄があるってことを、ちょっと前に
知った。
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投稿日時:2013/06/09 9:59 投稿者:
投稿された記事: 【PUBLICITY】1931:読者の物語~貧困と自
由をめぐって(1)

久々の発行でも読者数が減らないのはさすが。
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▼どなたか存じませんがありがとうございます。
気まぐれなメルマガですが、気長に、どうぞよろしく。

▼東郷和彦さんへのロングインタビューの第29回。
統帥権についての註です。

 


【オフノート】東郷和彦29
〈「統帥権」雑感〉


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此人等國を指導せしかと思ふ時型の小きに驚き果てぬ

東郷茂徳
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■註
▼今号は、茂徳さんを悩ませた「統帥権」について。

統帥権の名の下に軍は暴走した、という話はよく聞くし、実際
にそうだったのだが、暴走の由来と実際の論理展開を、幾何(
いくばく)かでも知っておきたい。

▼まず、由井正臣『軍部と民衆統合』(岩波書店)という文献
から引用する。以下の文章を読むと、統帥権がどのようにして
拡大されたのかが法制史の観点からよく理解できる。()は引
用者、【】は原文傍点、適宜▼。


――――――――――――――――――――――――――――
▼軍事官僚の場合は、統帥の範囲をできうる限り拡大するとと
もに、陸海軍省を内閣における半ば独立機関たらしめようとす
る志向が強くはたらいていた。この陸軍首脳の主張が、187
8(明治11)年の参謀本部設置以来の事実上における慣行を
ふまえたものであったことは先にも指摘したが、次にこの点を
検討しておこう。

▼2 統帥権独立の慣行的実態

憲法制定前において統帥権の独立の萌芽は、1878(明治1
1)年の参謀本部の独立、1882(明治15)年の軍人勅諭、
1885(明治18)年の内閣制度発足による「内閣職権」の
制定、翌年の参謀本部条例改正による海軍軍令機関の独立等の
なかに、事実上の慣習として、あるいは憲法以外の法令として
あらわれてきていた。

参謀本部設置にあたって陸軍卿は「本省ト本部ト権限ノ大略」
を上申したが、これはその後の陸軍省と参謀本部の関係を規定
したものである。

この規定は、1887(明治20)年海軍軍令機関が海軍省か
ら独立し参謀本部に編入されると、陸海軍省と参謀本部の権限
を規定する「参謀本部陸海軍部権限ノ大略及上裁文書署名式」
へと引きつがれていった。(中略)

(この文書では)陸海軍編成について閣議を経ることなく上奏
裁可を認めている。

▼この点は、伊東巳代治編「軍令ト軍政」(小林龍夫編『翠雨
荘日記』附録として収録)中の曽禰荒助稿「兵制ニ係ル条項」
(1888年憲法起草の参考として作成されたと思われる)に、

陸軍々政上ニ於テ内閣ヲ経ス直チニ裁可ヲ経テ施行スルモノノ
種類左ノ如シ

一 陸軍佐尉官職課令免ノ件
一 行軍演習及軍隊ノ発差等軍令ニ係ルノ件
一 団隊ノ編制及操法上等ニ係ル諸規則
一 団隊ニ係ル編制表

これらはすべて陸軍大臣と参謀本部部長協議の上、上奏裁可を
経て実施されてきたとしている。ここに帷幄上奏の最初の形態
がみられるのである。

こうした事実上の慣行を法制的に裏から規定したのが、「内閣
職権」第6条(中略)であり、1889(明治22)年12月
24日の内閣官制第7条(中略)であった。(中略)

▼(帷幄上奏の変化をめぐって)そのもっとも重要な点は「内
閣職権」において、上奏主体は参謀総長に限定されていたのに
たいし、「内閣官制」においては上奏主体が明示されず、国務
大臣としての陸海軍大臣の帷幄上奏を法制的に裏付けることに
なったことである。※(中略)

(実際に内閣から独立した動きが)内閣官制制定後最初にあら
われたのが、1890(明治23)年11月の陸軍定員令であ
った。陸軍定員令は、内閣官制第7条にいうところの「軍機軍
令」に属する事項として、大山陸相は閣議を経ず直に上奏し、
つまり帷幄上奏を行ない、裁可をえてのち内閣に下したもので
あった。(中略)

▼陸軍大臣が、憲法第11条・第12条を根拠にし、陸海軍の
編成と密接な関連を有する官衙組織、軍学校等を軍機軍令事項
として帷幄上奏によって決定するとしたことは重大である。

これ以後参謀本部長、陸軍大臣の帷幄上奏は急激に増加してい
った。(中略)注意すべきは、これらの(増加した陸軍による)
帷幄上奏は軍令に関するものでなく、軍政事項に属する軍の編
成、軍衙の組織、軍衙学校などが大部分を占めているもので、
多くは陸軍大臣ないしは陸軍大臣・参謀本部長連署の帷幄上奏
であったことである。

こうして陸軍は事実上において「軍機軍令」の範囲を拡大し、
帷幄上奏によって内閣の統一を阻害していった。

▼しかし陸軍の場合においても、日清戦争前には、これにたい
する一定の批判があった。(中略)

明治憲法制定前後における国家機構上の軍隊・軍事機構の法制
的位置づけは、第一に、憲法の文理上における多様な解釈が可
能であり、しかも統帥事項は行政事項と密接な関係をもってい
るが故に、事実上における統帥権の独立は、絶対的なものでは
なく、その時々の政治的力関係によって伸縮する【相対的】な
ものにすぎなかった。

第二に、にもかかわらず、陸軍首脳において統帥権を拡大し、
議会はいうまでもなく、政府にたいしても軍令の範囲を拡大す
ることによって相対的に独立することをつねに志向していたこ
とが確認されるのである。

藩閥政府においても、軍事に関する議会の干与を拒否し、軍事
権を天皇大権として独占しようとするかぎり、統帥権の独立が
強化されることをまぬがれることはできなかった。

かくして、日清戦後の軍備拡張に伴って、統帥権の独立は次第
に強化され、政治上の論争点となっていくのである。

由井正臣『軍部と民衆統合 日清戦争から満州事変期まで』
7-11頁/「日本帝国主義成立期の軍部」
岩波書店/2009年3月27日第1刷発行
――――――――――――――――――――――――――――


▼なお、※部分の「内閣官制」第7条について、以下の註が付
いていた。


――――――――――――――――――――――――――――
「事ノ軍機軍令ニ係リ【参謀本部長ヨリ直ニ】奏上スルモノハ
……」として、明確に奏上主体を限定していたにもかかわらず、
いつのまにか傍点部分【】の九字が抹殺され、陸海軍大臣の帷
幄奏上権の根拠にされるにいたったことについては、大江志乃
夫『国民教育と軍隊』317~318頁の注(33)、参照。

56頁
――――――――――――――――――――――――――――


▼さて、この延長線上に一冊の「教科書」が生まれた。司馬遼
太郎『この国のかたち4』などで広く知られるようになった、
『統帥参考』である(以下の引用では読みやすさを優先して、
原文のカタカナをひらがなに、旧字を新字にし、適宜読点や空
きを入れた)。

昭和37年12月8日付で偕行社が復刊した『統帥綱領 統帥
参考』には、『統帥参考』の本文とともに「昭和七年七月 陸
軍大学校幹事 陸軍少将 今井清」との日付、署名が復刻され
ている。また、内容については、


――――――――――――――――――――――――――――
陸軍大学校における学生に対する統帥教育の資料として、兵学
に蘊蓄の深い教官多数の研鑽討議により出来た大冊である。

その内容は、古今東西の著名な戦史を観察して、その中に戦略
の粋をたずね、統帥の本義を求めてその妙諦を究めようとした
ものである。
――――――――――――――――――――――――――――


との編者による的確な解説が付けられている。要するに、この
教科書をもとに幹部候補生が教育されていったのだ。

▼第一編「一般統帥」、第一章「統帥権」には、軍隊の「独断
専行」がいかに重大な意義をもっているかが書かれている。

また、「統帥権独立ノ必要」という項目には、

「政治は法に拠り 統帥は意志に拠る」

「統帥権の輔翼及執行の機関は政治機関より分離し
 軍令は政令より独立せざるべからず」

等、統帥権のいわば根本概念が示されている。

▼この概念は、どのような考えに発展するか。たとえば同章で
は、西欧の例をひいた後、


――――――――――――――――――――――――――――
国軍の統帥が、此(かく)の如き政治機関、乃至議会等の干与
(かんよ)に依りて行わるるものとせば、其(その)危険窮(
きわま)りなきものと言うべし
――――――――――――――――――――――――――――


と解説している。ただし、


――――――――――――――――――――――――――――
統帥権が独立し其(その)行使が政治機関と別個の機関に依り
行わるるを可とすと言うことは統帥が政治と連絡交渉なく無関
係に行わるべしと言うの意にあらず

七頁
――――――――――――――――――――――――――――


という但し書きが付せられている。


▼しかし、直後の「統帥権と議会との関係」の項を読むと、こ
うある。


――――――――――――――――――――――――――――
陸海軍に対する統治は即ち統帥にして、
一般国務上の大権が国務大臣の輔弼する所なるに反し、
統帥権は其輔弼の範囲外に独立す
従て統帥権の行使及其結果に関しては議会に於て責任を負わず
議会は軍の統帥指揮並之が結果に関し
質問を提起し弁明を求め
又は之を批評し論難するの権利を有せず

七頁
――――――――――――――――――――――――――――


▼要するに「統帥権は議会の埒外にある」と教えているのだ。
「(統帥は)帝国議会と全然無関係の地位に在り」(十九頁、
第二章「統帥と政治」)。

しかし、陸軍大臣は国務大臣なんだから、たとえ理論上であれ
軍の動きは議会の制約を受けるのではないか、と不思議に思う。

この疑問にも『統帥参考』は答えてくれる。


――――――――――――――――――――――――――――
統帥権の作用は国務大臣の職務に属せざるを以て
軍令には国務大臣の副署を要せず
軍部大臣の之を副署するは国務大臣としての副署にあらず
単に之を『奉行するの任』に当ることを表明するに止り
憲法上の意義に於ての責任を表明するの意にあらず

九頁
――――――――――――――――――――――――――――


▼また、「軍令に副署する陸、海軍大臣は国務大臣の資格に於
て之をなすにあらず 又各長官たる大臣の意味にもあらず 大
元帥の輔翼者たる大臣の意義に於て副署するものなり」(十八
頁)とも書かれていた。

これらの考えは、最初に紹介した「政治は法に拠り 統帥は意
志に拠る」という根本概念から導き出されたものであることが、
以下の箇所からわかる。


――――――――――――――――――――――――――――
国務大臣は憲法上の輔弼の責に任ずる者なるを以て主権者が大
臣の意見に反して決裁せられたるときは憲法上の責任を採りて
辞職せざるべからず

然れども参謀総長、海軍軍令部長等は幕僚にして憲法上の責任
を有するものにあらざるが故に其進退は国務大臣と大に趣を異
にす

之(これ)『法』に拠る政治と『意志』に拠る統帥との本質的
差異より生ずる自然の帰結たらずんばあらず

十一頁
――――――――――――――――――――――――――――


▼他にも、「抑(そもそ)も帷幄上奏(いあくじょうそう)制
度は統帥権独立の中心生命を為し 之(これ)なくんば統帥権
の独立なしと言うべきなり」という箇所などから、統帥権と帷
幄上奏権との関係について言及しようかと思ったが、これはネ
ットで簡単に調べられるので省略する。

▼『統帥参考』を東京都立中央図書館で読んで、明治、大正、
昭和の軍人教育は、どこでどう変容したのかを知りたいと思っ
た。その歴史は、「田母神史観」の問題とも深く関係してくる
かも知れない。


(つづく)


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