――――――――――――――――――――――――――――
non solum scienta quae est remota a justitia,
calliditas potius quam sapientia est appellanda;
verum etiam animus paratus ad periculum,si sua cupiditate,
non utilitate communi impellitur,
audaciae potius nomen habet quam fortitudinis.
正義を離れた知識は、智と称するよりは、むしろ怜悧と称せら
れるべきのみならず、なおまた、危険に対して覚悟する勇気は
、もし、一般的利益によってではなく、自己の欲によって駆ら
れるならば、剛毅の名よりは無謀の名を受ける。
キケロ
――――――――――――――――――――――――――――
【13~右か、左か。「嫌米」のバックラッシュ】
──この「慰安婦問題」の顛末と関係していると思うんですが
、『歴史と外交』では、自分の立ち位置が、「真ん中より少し
右」から、「真ん中より少し左」へ移動した、という自己認識
を記されていますね。
――――――――――――――――――――――――――――
私のものの見かたが、いまの日本の思想界のなかで、どのあた
りに位置しているのかは、自分ではよくわからない。便宜的に
いうならば、外務省で仕事をしていたころは、真ん中より少し
右にいるのかなと思っていたが、いま、書店にならぶ本を見れ
ば、むしろ真ん中より、少し左にいるのかなと思う。
『歴史と外交』303-304頁
――――――――――――――――――――――――――――
──もしそうなら、最近は、この思いは強まっているのではな
いでしょうか。
東郷 はい。そういう動きを感ずるのは、単行本だけでなく、
雑誌の動きもそうですね。総じて、「右」と言われている方々
の論考、雑誌論文、著作は、勢いを感じます。そういうものが
本棚に並ぶということは、それらの言論人が各種の媒体を通じ
て、影響力を拡大していると言うことでもある。
小泉首相の靖国参拝に対する彼らの反応にも、強い関心を持っ
ていました。
戦後直後からの「左」の動きには、もちろんマルキシズムの問
題もあるけれども、大きく二つの側面があったと思います。
一つは、反戦──「戦争は嫌だ」と。もう一つは、「軍部は嫌
だ」。この二つの側面は、同じ根からでた二つの側面のように
思います。この動きを「無責任平和主義」と「自虐史観」と名
づけて猛烈に批判し、さらにアメリカの占領政策をも批判し、
もっと「国の名誉」を守らねばならない、そういう意見が、強
まってきていると思います。
しかし、「左」はといえば、負けてたまるものかと思っている
。何人かお会いした方のお話をうかがっても、強靭な信念をも
っておられる。決して消えていない。彼らのなかにも尊敬すべ
き方々がおられます。
──最近は、このようにも書かれました。
――――――――――――――――――――――――――――
私は、右なのだろうか、左なのだろうか。私は、靖国神社の再
興をねがい、米国議会の慰安婦決議には反対であり、東京裁判
判決は勝者の判決として受け入れることはできないと考えてき
た。
しかし、同時に、南京事件では旧軍の親善組織「偕行社」が発
表した「中国国民に深くわびる」に感銘をうけ、慰安婦問題に
関する河野談話と歴史認識に関する村山談話を支持している。
右でも左でもない、私の経験と読書によって、私なりの見解を
形作ろうと努めてきた。
「現代と私たち」145-146頁
2009年3月30日発行
――――――――――――――――――――――――――――
東郷 大きな左から右への流れは、たしかにあると思います。
しかし、あの本のテーマは、太平洋戦争の認識に関する「均衡
点」があるのではないか。そろそろ、その均衡点を見つけて、
「左」と「右」の争いをやめよう、国内の内ゲバのようなこと
は、もうやめましょう、ということです。
──ワシントンポストの意見広告が、はからずも炙り出した問
題は、東郷さん自身が右から左へ移動している、と感じる由縁
になっている流れと、直結していますね。これは危険な流れで
はないですか。
東郷 危険だと思います。いま日本社会では、「嫌韓」「嫌中
」、そして「嫌米」のバックラッシュが起こっている。
──「嫌米」も、ありますか。
東郷 あります。
──田母神さんの論文で示された「田母神史観」は、どうでし
ょう。
東郷 当事者の主観的な意図は別として、その一環としてとら
えることができると思います。
戦後日本は「民主主義」という政治制度をつくりながらやって
きて、「経済万能主義」が大きな成功をおさめたけれども、ど
うも根本的な空白の部分があるまま進み、そのツケがまわって
きた感じがします。空白をどう治していくか。これは日本のア
イデンティティーの根本に関わる。
この、空白がある、という認識において、私のなかには「右」
の意見を持つ人たちと共鳴する部分がある。ただし私は、その
空白を埋めるために、「外」に向かうべきではないと考えます。
「空白をつくった元凶は中国、韓国だ」とか、あるいは「空白
を利用して日本を叩いているのは中国、韓国、米国である」と
か、「空白をつくった責任はアメリカにある」というような議
論は、したくない。そういう議論は、これから日本が尊敬され
る国になっていく由縁にはならないと思うからです。
もし空白があるとしたら、空白をつくった責任は、我々自身に
ある。治すのならば、我々自身の問題として考えなくてはいけ
ない。
最近ある講演会で話した後、私より10歳くらい年上の方から
手紙をいただきました。“占領時代にアメリカがとった、ウォ
ー・ギルト・インフォメーション・プログラムによって、わが
日本民族は魂が腑抜けになってしまった”という、強烈なお便
りでした。
この方にも私は、いま申し上げた趣旨を伝えました。そうする
と「私もまったく同じ事を言いたいのです」「私は反米ではあ
りません」「しかし、アメリカの占領政策にころっと騙されて
しまった、そして、騙されたことに気づいてもいない日本人を
、叱咤激励したいのです」と述べられました。
おそらく、主観的には、その通りなのです。しかし、そういう
言説を聞いても、そうはとらえない人たちがいますね。
この問題は、言い方や表現の工夫で解決できるのかも知れない
けれども、しかし、「アメリカの占領政策に騙された当時の日
本人はけしからん」と言うと、その言説の“矢”は、たしかに
日本人に向いているけれども、アメリカがこの問題の枠外にお
かれるというわけには、どうしてもいかない。
これは、ノムヒョン政権時の韓国の動きに似ています。彼の政
権は、かつて対日協力派だった人々の土地を没収しました。今
も子どもや孫が住んでいるにもかかわらず、です。
韓国の人々は、あの問題について、日本に対して“この矢は、
私たち自身に向かって飛んでいます。日本には飛んでいません
よ”と、公式的には言うでしょう。しかし、そういう動きが進
行中の時に、日本に対する彼らの認識が、影響を受けないはず
がない。
“外交問題として、日本には提起はしません”──それはそう
でしょう。しかし、“いったい日本との協力は何だったのか”
“それは悪だった”となれば、当然“日本も悪だ”となるでし
ょう。
そういう意識を高揚させる動きを、日本も外交問題にはしない
。けれども、この問題は、日本にとってまったく他人事ではあ
りません。
日本のアメリカに対する動きも同じではないでしょうか。“ア
メリカの占領政策が日本人を台無しにした”“日本人にとって
悪のプログラムだ”、ならば・・・
──“根っこのアメリカは悪だった”となる。
東郷 そうです。アメリカ人が、いくら忍耐強く見ていてくれ
たとしても、同じような衝突が起きるわけです。その議論をや
るのなら、この流れは否定できません。
──同じですね。
東郷 私も、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラ
ムの問題は確かにあると思うけれども、日本が最も集中して考
えるべき問題は、そこにはないと思います。