2009年05月21日

東郷和彦17/アリストテレス革命1


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智(ソピア)は昼の世界に安ろうとも、
愛智(ピロソピア)はいつも暁遠き夜のなげきをもつのである。

井上忠「アリストテレスの『有』把握」
『根拠よりの挑戦──ギリシア哲学究攻』250頁
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【註】
▼イノチュウさんの共著に『西洋哲学史〔新版〕』(1965
年、東京大学出版会)という一冊がある。ちょうど、東郷さん
の学生時代に出版されている。

似たような題名の本は山ほどあるが、この本は、というより、
この本の中のイノチュウさんが担当している部分は、まさに「
異色」という言葉が相応しい、独創的で大胆な哲学史になって
いる。

「中世」の目次が「旅人の歩みの時代──キリストと教父たち
」「旅人の宿りの時代──学僧たち」となっているのもいい。

いちいち引用していたらきりがないし、論点も無数にあるし、
こればっかりは現物にあたる以外に味わう手立てがないのだが
、記述の方法、つまり文体が、じつに型破りなのである。

たとえば、キリスト教の成立前後には次のような一文がある。


【】は傍点
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ひとりのひとは十字架上に死んだ。弟子どもは恐れ否み声をの
む。道は絶え、ことは終った、と見える。

しかし事実の地平に身を披(ひら)きわたした【あの】者は、
その托身(受肉 incarnatio)を処女懐胎の逆理をもって飾っ
たごとく、いまや疑惑と背信、否定と絶望の地平に、事実の撞
着そのものを纏い、死の影を踏んで、復活する。

そしてこの復活と、これにもとづく聖霊降臨という、死の事実
を圧倒する愛の現前において、教会はその歩みをはじめた。

『西洋哲学史〔新版〕』53頁
1965年、東京大学出版会
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▼共著者の山崎正一、原佑両氏の文体と比べると、まるで違う
ということがわかる。

▼また、彼の大胆な文体には、一つの特徴がある。理性が信仰
から切り離された社会のなかで、人はいかにして価値を見出す
のか、という「西洋」文化圏の大問題に、筆の勢いがところど
ころ傾いているのである。これは、数多ある「近代を相対化す
る視点」の一つであるともいえるだろう。

『西洋哲学史』のなかで、この傾きが最も露わになるのは、理
性と信仰とが「離婚」する契機となった、ウィリアム・オッカ
ムをめぐる記述だ。

オッカムは、「オッカムの剃刀」(=概念上の実体を、必要な
しに多数化してはならない)という原理で知られている。

▼しかし、この話に入る前に、最低限の前提を踏まえておかね
ばならない。

西洋の中世では、いわゆる「スコラ哲学」が全盛期を迎え、い
わば、「学ぶ」という言葉の中身そのものが激変する。この「
学問全体の大改革の直接契機になったもの」は何だったか。

それは、「東方の哲学との接触を介して、従来『オルガノン』
以外はほとんど伝えられていなかったアリストテレス全原典の
西欧世界への紹介」(『西洋哲学史』76頁)である。「ここ
に権威の自己理解は、新しき方便を入手し、その全体にわたる
再構成を完成することになったのである」(同)

「東方」とは、いうまでもなく広大なイスラム世界の謂である
。キリスト教の哲学(神学)の世界に、イスラム世界を経由し
て、アリストテレスの思想がもたらされたわけだ。「スコラの
時代にあっては、「哲学者」(Philosophus)とは、アリスト
テレスただそのひとを指す言葉であった」(80頁)。

アリストテレスの発見(再発見)という、「西洋哲学」にとっ
て決定的な事件をどう扱うか。この「12世紀ルネサンス」的
な観点は、西洋文化圏に片足を入れている日本にとっても、き
わめて重要であるとぼくは考える。

なぜなら、この「アリストテレスの発見」が、スコラ哲学の盛
衰を経て、西洋における信仰と理性との分離に帰結したからで
あり、そしてこの流れは当然のことながら、「近代日本」の歴
史にも決定的な影響を与えているからだ。


▼さて、オッカムである。


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(オッカムの言説の影響によって)神の存在、唯一性、無限性
など、理性の転位によって論証されると言われたすべては、(
中略)ただ信仰のみによって保たれることとなる。

かくして権威はついに自己理解への途を断ったのである。

そして権威なき個別並列の地平に、いまや神学からも形而上学
からも解き放たれた経験科学は、嬉々として知識の発展を喜ぶ
こととなるわけであった。

『西洋哲学史』86-87頁
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▼「解き放たれた経験科学」は、「嬉々として」、「事実」を
自らの根拠とする。しかし、「権威の根拠は事実ではない。い
かなる広大な事実、堅牢な事実も、もしそれが権威の根拠と思
い誤られるとき、権威はたんなる事実の面での権力であり、暴
力に成り下るよりほかはない」(87頁)。

そしてイノチュウさんは、真の「権威の基盤」とは、「人間の
自由に、愛より贈られる特権なのである。(中略)権威の根拠
は、実に、理由なき愛の絶対措定であり、如何なる解説も条件
付けも許さぬ絶対自由の作品化なのである」(88頁)と結論
づける。

このテキストを書いた人による哲学の授業は、20歳前後の学
生にとって、さぞかし刺激的だったろうとぼくは想像する。

イノチュウさんの哲学史は、以下の記述で終わる。


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ひとはただ転位の不可能を論(あげつ)らいつつ、誇りかに事
実の地平を謳歌し、実証の塵に科学を追い、事実の伝統に宗教
を固執するほかに術はあるまい。

そして時代は、根拠を喪失したがゆえに豊富な根拠を事実のな
かに発見しうると憶い、自由を放棄したがゆえに、不安空白の
地平をあてどなくさ迷う自由を得たと錯覚し易い姿へと辿りゆ
くのである。

思えば近代の人間疎外、現代の人間不在の淵源も、またそうし
たところに、そして古代よりの哲学の歩みの一つの完結である
かに見えた中世のあの瞬間にすでに、あった、とも言えるであ
ろう。

『西洋哲学史』88頁
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そうして、アリストテレスは再び忘れ去られたのである。


▼おそらくイノチュウさんは、この「信仰と理性」の論点自体
を自覚的に扱おうとしたわけではない。そもそも「アリストテ
レス革命」は、西洋哲学史を、その教科書を書くためにたどり
直せば必然的にぶつかるテーマだ。

さらに、プラトン研究についてのイノチュウさんの批評を、別
の本から引用しておこう。この一節もまた、“嬉々として”発
展した「近代」の限界を抉っている。


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論理は無矛盾の鑢(やすり)で、事実の陰影を摩滅し去った同
一性の傾斜を、嬉々として滑走する。近代合理主義の示した清
算会社流の頭脳明晰がそこにある。

そして、かの仮底の仮構された同一性は、もはや疑問とされず
、ただその平面での学説の異なりのみが、喧しく注意を呼ぶ。

ほかを顧みるまでもない。例はプラトン研究にあろう。プラト
ンを歴史上に伝承され設定されたひとりの学説者として記すか
。ギリシア思想・ギリシア文化の一環として活き活きと論ずる
か。古典文献学の立場から精細厳密らしく述べるか。

いずれにしても、すでにプラトンをひとつの対象として、任意
に設定された可能性のひとつの画面に映す描きにすぎない。

そこには一面では、主観不在の客観性を互いに競いつつ、描き
の画面から異なりの壁に隔てられ不可知の深みにかくれゆく対
象事実自体への、粧われた絶望がある。

他面には、自己把握の能力欠如のゆえに、画面に投入しえずし
てこれから異なり、幾重の画面を立てても無限背進する自我の
遊離を、自我の超越とする錯覚がある。

そしてこれら二つの異なりによって根拠への途が遮断されると
ころにのみ、それぞれの学識の仮底の同一性がいじましく仮構
されているのである。

甲論乙駁、汗牛充棟の文献研究の結晶が、プラトンの、イデア
そのものの、問題解決をめざしては、ついに一指も染め得なか
ったことを、ひとは率直に認めなければなるまい。

井上忠『根拠よりの挑戦』175頁
1974年3月15日発行/東京大学出版会
「イデア」/初出は1965年10月
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▼ところで、これらのイノチュウさんの文章は、昨年読んだ本
のなかでダントツの傑作だった、リチャード・E・ルーベンシ
ュタイン『中世の覚醒』(小沢千重子訳、紀伊國屋書店)の、
以下の記述と、明快に響き合っている。


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オッカムの剃刀は、トマス(=トマス・アクィナス)が取り組
んだ仕事--すなわち、自然の事物と神的な事柄をともに説明
できる統一的な思想体系を構築しようとする試み--は成就し
えないことを暗に示していた。

換言すれば、単純を旨とすべしとするオッカムの主張の背後に
は、自然科学と神学は別個の道を進むべきであるという信念が
隠されていたのだ。(中略)

ドゥンス・スコトゥスとウィリアム・オッカムの業績によって
、アリストテレス革命は根本的な方向転換をした。これら二人
のフランシスコ会の革新者たちは、アリストテレスの才能をお
おいに賞賛していた。

だが、彼らはトマスがその思想体系の構築に不可欠とみなした
アリストテレスの学説を退けて、トマスが軽視ないし無視した
学説を重視した。

中世のキリスト教徒の思想家たちが一人のアリストテレスを位
置づけていたところに、いまや二人のアリストテレスが存在す
るようになったのだ。その結果、アリストテレス主義の思想運
動は分裂し、信仰と理性、宗教的経験と科学的営為のあいだに
大きな亀裂が生じてしまった。

『中世の覚醒』377-378頁
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▼この『中世の覚醒』をめぐって、ぼくはイノチュウさんに一
言、たずねたいことがあった。

(つづく)

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