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だが、寛容の扉は閉ざされようとしていた。
ルーベンシュタイン『中世の覚醒--アリストテレス再発見か
ら知の革命へ』398頁
小沢千重子訳/紀伊国屋書店/2008年
原著は2003年
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▼ルーベンシュタインは『中世の覚醒』のなかで、「近代の経
験科学」が誕生した経緯を、キリスト教の教義を噛み砕きなが
ら、平易に解説してくれている。ここでは結論だけを記そう。
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トマス(=トマス・アクィナス)は人間の知性と神のそれを結
びつける絆が存在すると仮定したが、ウィリアム・オッカムは
その絆を断ち切った。(中略)自然科学に関心を抱いたキリス
ト教思想家たちは、この結論から心の平安を得たことだろう。
『中世の覚醒』380-381頁
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▼この、カトリック教会を論理的に純化するオッカムの考えは
、当の教会に強い恐怖を与えた。
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人間は自然や純然たる理性をつうじては神をまったく理解でき
ないという(オッカムの)主張は、カトリック教会上層部を戦
慄させた。
というのは、この主張を認めれば、思索することと信ずること
を離反させてしまうと思われたからだ。そして、ついには、教
会のなすべき仕事は、祈?と神学的思弁と秘蹟の執行だ
けになってしまうだろう、と。
オッカムの剃刀は、自然科学や社会思想や哲学のそのほかの分
野すべてを、それらが拠りどころとしているキリスト教から断
ち切ってしまいかねなかった。
のみならず、神学を骨抜きにする恐れすらあった。なぜなら、
ボエティウスの時代以来、神学の目的は常に「信仰と理性を調
和させる」ことだったからだ。
オッカムの剃刀は教会を申し分なく霊化するだろう。だが、そ
れはまた、教会から知性を奪うとともに、教会を世間から孤立
させてしまうだろう。
その一方で、すでに大量の官僚と法律家を採用している世俗の
統治者が、ヨーロッパにおける学問の大パトロンとなるだろう
。その擁護者が伝統と権威だけでなく、自然の理性にも訴える
ことができなくなったら、どうしてカトリックの信仰が栄え、
広まることができようか?
383-384頁
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▼そうしてオッカムは破門された。信仰と理性の分離が、静か
に、大きく胎動していく。
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ドミニコ会士の説教師(=マイスター・エックハルト)とフラ
ンシスコ会士の論理学者(=オッカム)という、これら二人の
スコラ学者の存在は、その後西欧文化を二つの潮流に分かつ亀
裂が生じつつあったことを示している。
二つの潮流とは、いわば心の文化と頭の文化であり、換言すれ
ば、宗教的経験によって正当化される個人的な信仰と、その説
得力によって正当化される非人格的な科学である。
ドイツ在住のエックハルトの弟子たちは、ライン川流域地方に
おける神秘主義的な福音伝道運動のめざましい発展に貢献した
。「神の友」と総称される敬虔なドイツ人たちの宗教運動は、
内省的な姿勢、福音伝道に対する情熱、「聖人」たちの共同生
活、絶対的な聖書の重視、そして、科学的な推論にはほとんど
関心を示さない等の特徴を有しており、来るべきプロテスタン
ト運動の強力な前触れとなった。
これとほぼ時を同じくして、パリ大学ではオッカムの後継者た
ちが巧みな手法で自然哲学を復活させ、後世のコペルニクス、
ガリレイ、ニュートンその他の科学者による諸々の発見への道
を切り拓いた。
かくして、信仰と理性の離婚のプロセスが始まった--これは
実のところ、かつて中世の学者と教会人を日夜悩ませた二重真
理説の実現にほかならなかった。八世紀前にボエティウスは友
人の教皇ヨハネス一世に対して、【できることなら】信仰と理
性を調和させてほしいと懇願していた。
問題は常に、自律的で自足した宇宙という見方と、人格をもっ
た神に依存している宇宙という見方を、どの程度まで純粋に調
和させられるか、ということだった。
アリストテレス主義的キリスト教はこれら二つの宇宙観の対立
を解決することはできなかったが、両者のあいだに創造的な緊
張をもたらした。
アリストテレスの伝統が廃れるにつれて、西ヨーロッパの文化
──と、それを生み出した個々人──はいつしか、論理的に思
考する頭という理想と、情熱的に追求する心という理想に、し
だいに引き裂かれていったのだ。
403-404頁
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▼その後、現在までのおおよその流れを、ルーベンシュタイン
は簡潔にまとめている。
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アリストテレス主義的キリスト教は、信仰と理性のあいだの激
しくも生産的な対話を支えてきた。けれども、緊張をはらんだ
信仰と理性の対話に終止符が打たれたら、世界はどうなってし
まうのだろうか?
合理主義的な思想家たちと、信仰に生きる人々の思想を特徴づ
けている方法や、関心や、基本的な概念が完全に切り離され-
-いずれの側も殻に閉じこもることによって--それぞれの陣
営が相手の世界観は間違っているとみなすようになったら、い
ったい世界はどうなってしまうのだろうか?
そのとき、合理主義者のグループと信仰に生きる人々のグルー
プは、知的な事柄をめぐる意見の対立が衝突を不可避にする場
合を除いては、心置きなく他方の見解と関心を無視するように
なるだろう。
近代になると、信仰と理性は新しい関係に移行した。すなわち
、波瀾万丈の結婚を解消して、不平たらたらの別居状態に入っ
たのだ。別居によって、いずれのグループも著しく変貌した。
疎遠になったとはいえ、彼らは定期的に会合して離婚の条件を
話し合った。ごく稀には、相手からインスピレーションを得る
こともあった。
信仰と理性が離婚に至った原因を理解することは、将来復縁す
る可能性にいささかの光を投げかけることだろう。
419頁
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▼書き忘れていたが、『中世の覚醒』の原題は、ずばり『アリ
ストテレスの子どもたち』という。この原題を引き合いに出す
ならば、イノチュウさんもまた、はるか東方で生まれた「アリ
ストテレスの子どもたち」の一人であるといえるかも知れない。
▼そういうわけで、ぼくはイノチュウさんに、1965年の『
西洋哲学史』も2003年の『アリストテレスの子どもたち』
も同じ問題意識を持っていることを確認し、そのうえで、アリ
ストテレスをめぐって生じた、信仰と理性との緊張関係は、イ
ノチュウさんの現役時代と比べて、今は軽視されてしまってい
るのではないか、とたずねた。
イノチュウさんは一言、「おっしゃるとおりですよ」と言い、
もう一言、「いまは、勉強しないんだもの」とポツリ。
また、「イデア」を「出(い)で遭(あ)い」と訳されたのに
はビックリしました、と感想を言うと、微笑みながら、「だっ
て、あれ以外に訳しようがないじゃありませんか」。
(2009年1月中旬、於:都内の井上忠さんの自宅)
▼なお、『中世の覚醒』には、まったく個人的に二つのうれし
い驚きがあった。
一つは、登場人物の一人に、本誌で何度か取り上げた、バチカ
ンに破門された神聖ローマ帝国皇帝・フリードリヒ2世がいた
ことである。
もう一つは、訳者あとがき(小沢千重子)の中で、ぼくの大好
きな堀田善衛の、『路上の人』に触れられていたことだ。こう
いう本に“出で遭う”こともあるんだなあと、しばし感懐に耽
ったことです。(堀田善衛はもっともっと高く評価されてしか
るべき作家だと思うのだが、これはまた別のお話)
▼せっかくなので、『路上の人』から引用しておきたい。カト
リックによる宗教弾圧を避けるために孤軍奮闘する騎士が、「
この世」を拒否する「異端」のカタリ派に対して、呼びかける
場面である。
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騎士はむずかしい顔をしていた。
ヨナも、余程ためらっての後に、小さな声で聞いてみた。
「どうでしたかい……?」
「平信者は解放したらどうか、とすすめたのだが、聞き入れて
くれる者が一人もなかった。救慰礼の按手(あんしゅ)をして
いた完徳者が、行きたい者は行ってよい、この騎士は悪い様に
はしないであろう、と言ってくれたが、駄目だった」
騎士の声も心なしか沈んでいた。
「何人くらいおいででしたかい?」
自分の声もがやはり畏怖にふるえているとヨナは自覚していた
。
「さあ、なかは暗くて、灯火は祭壇に一つだけだ。それにあの
黒衣だから、よくはわからなかったが、十五人くらいはいたと
思う」
「旦那(メセーレ)は何をお話しになったので……?」
「左様、君たちの宗派は、死と絶望の教派だ。この世を悪とし
て拒否し、肉慾を拒否し、婚姻を拒否し、肉食を拒否し、私有
を拒否し、権力を拒否し、武器を拒否し、裁判と処刑を拒否す
る。洗礼を拒否し、聖餐を拒否し、終油も拒否する。残されて
いるものは、死だけではないか、と」
「そうしたらどう言いましたか?」
「完徳者が、静かに、幽霊のような声で、“然り(オック)”
、と一言だけ言った。そう言われて何か返事の仕様があるかね
?」
「はあ……」
「だからわたしは、たとえそうであっても、人間の世界は生き
るに価値ある世界であり、生きる余地はまだまだある。山を越
えてアラゴンへ行け、迫害はあってもここほどではない。
君たちは、宗教問題だけではなく、ローマ法王と北フランスの
王との取引き、とりわけて北フランスの王の、オクシタニア支
配のための犠牲ともなっているのだ。
アラゴン王の下でということが望ましくないとあれば、もっと
南へ下って、イスラム教徒の支配するコルドバか、グラナダへ
行け、イスラム教徒は、もっと寛容である、とすすめた」
「あの豚を食わぬ連中が寛容ですかい?」
「残念ながら、ある種のキリスト教徒よりもずっと寛容である
。わたしは彼等の支配下で、キリスト教徒たちがユダヤ教徒と
も一緒に、嬉々として暮しているのを、この眼で見ている」
堀田善衛『路上の人』168-170頁、新潮文庫
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▼異端とは──堀田善衛は書いている。【】は原文傍点。
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【彼等】が異端なのではなく、【彼等】を異端とするから、異
端に【成る】のである。そうして【彼等】は、かの書に言う『
党派』であり、『肢(えだ)』なのだ。
手足である『肢』がなくて何が『体(からだ)』なものか。そ
れが存在することこそが、むしろ『体』を『体』たらしむる所
以である。
死と絶望の宗教をもつ【彼等】をも含んで、人間は素晴らしい
ものである筈だ。
『路上の人』185頁
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▼じつは、『路上の人』の物語を動かす中心にも、まさにアリ
ストテレスの著作が位置している。興味のある方は是非ご一読
を。
もう一度繰り返すが、前々回、前回、今回と取り上げたテーマ
は、海の向こうのお話ではない。天草四郎で有名な「島原の乱
」を描いた、同じく堀田の名作『海鳴りの底から』には、・・
・いや、こういう話を書いていると、きりがないから、もうや
めておく。
21世紀の人類は、あの中世の時代(といっても長大だが)の
思想史を、もっと分厚くすべきだと思う。外務省は、新人の研
修のなかで、かつて武力を使わずエルサレムを「奪還」した、
フリードリヒ2世の時代を教える文明史、文明論の時間をつく
ってみてはどうか。
独善主義の害悪を自省する努力は今、どんな智恵を使って、ど
れだけ強調しても、しすぎることはないからだ。歴史を顧みれ
ば、迂遠のように見える努力が、じつは解決へ至る道に深く有
縁であった、という事例は数多い。
あらゆる局面で独善を排する努力は、必ず「職業としての外交
」の全体を豊かにする。
(第2章 終わり)