2009年05月22日

東郷和彦18/アリストテレス革命2


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だが、寛容の扉は閉ざされようとしていた。

ルーベンシュタイン『中世の覚醒--アリストテレス再発見か
ら知の革命へ』398頁
小沢千重子訳/紀伊国屋書店/2008年
原著は2003年
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▼ルーベンシュタインは『中世の覚醒』のなかで、「近代の経
験科学」が誕生した経緯を、キリスト教の教義を噛み砕きなが
ら、平易に解説してくれている。ここでは結論だけを記そう。


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トマス(=トマス・アクィナス)は人間の知性と神のそれを結
びつける絆が存在すると仮定したが、ウィリアム・オッカムは
その絆を断ち切った。(中略)自然科学に関心を抱いたキリス
ト教思想家たちは、この結論から心の平安を得たことだろう。

『中世の覚醒』380-381頁
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▼この、カトリック教会を論理的に純化するオッカムの考えは
、当の教会に強い恐怖を与えた。


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人間は自然や純然たる理性をつうじては神をまったく理解でき
ないという(オッカムの)主張は、カトリック教会上層部を戦
慄させた。

というのは、この主張を認めれば、思索することと信ずること
を離反させてしまうと思われたからだ。そして、ついには、教
会のなすべき仕事は、祈?と神学的思弁と秘蹟の執行だ
けになってしまうだろう、と。

オッカムの剃刀は、自然科学や社会思想や哲学のそのほかの分
野すべてを、それらが拠りどころとしているキリスト教から断
ち切ってしまいかねなかった。

のみならず、神学を骨抜きにする恐れすらあった。なぜなら、
ボエティウスの時代以来、神学の目的は常に「信仰と理性を調
和させる」ことだったからだ。

オッカムの剃刀は教会を申し分なく霊化するだろう。だが、そ
れはまた、教会から知性を奪うとともに、教会を世間から孤立
させてしまうだろう。

その一方で、すでに大量の官僚と法律家を採用している世俗の
統治者が、ヨーロッパにおける学問の大パトロンとなるだろう
。その擁護者が伝統と権威だけでなく、自然の理性にも訴える
ことができなくなったら、どうしてカトリックの信仰が栄え、
広まることができようか?

383-384頁
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▼そうしてオッカムは破門された。信仰と理性の分離が、静か
に、大きく胎動していく。


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ドミニコ会士の説教師(=マイスター・エックハルト)とフラ
ンシスコ会士の論理学者(=オッカム)という、これら二人の
スコラ学者の存在は、その後西欧文化を二つの潮流に分かつ亀
裂が生じつつあったことを示している。

二つの潮流とは、いわば心の文化と頭の文化であり、換言すれ
ば、宗教的経験によって正当化される個人的な信仰と、その説
得力によって正当化される非人格的な科学である。

ドイツ在住のエックハルトの弟子たちは、ライン川流域地方に
おける神秘主義的な福音伝道運動のめざましい発展に貢献した
。「神の友」と総称される敬虔なドイツ人たちの宗教運動は、
内省的な姿勢、福音伝道に対する情熱、「聖人」たちの共同生
活、絶対的な聖書の重視、そして、科学的な推論にはほとんど
関心を示さない等の特徴を有しており、来るべきプロテスタン
ト運動の強力な前触れとなった。

これとほぼ時を同じくして、パリ大学ではオッカムの後継者た
ちが巧みな手法で自然哲学を復活させ、後世のコペルニクス、
ガリレイ、ニュートンその他の科学者による諸々の発見への道
を切り拓いた。

かくして、信仰と理性の離婚のプロセスが始まった--これは
実のところ、かつて中世の学者と教会人を日夜悩ませた二重真
理説の実現にほかならなかった。八世紀前にボエティウスは友
人の教皇ヨハネス一世に対して、【できることなら】信仰と理
性を調和させてほしいと懇願していた。

問題は常に、自律的で自足した宇宙という見方と、人格をもっ
た神に依存している宇宙という見方を、どの程度まで純粋に調
和させられるか、ということだった。

アリストテレス主義的キリスト教はこれら二つの宇宙観の対立
を解決することはできなかったが、両者のあいだに創造的な緊
張をもたらした。

アリストテレスの伝統が廃れるにつれて、西ヨーロッパの文化
──と、それを生み出した個々人──はいつしか、論理的に思
考する頭という理想と、情熱的に追求する心という理想に、し
だいに引き裂かれていったのだ。

403-404頁
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▼その後、現在までのおおよその流れを、ルーベンシュタイン
は簡潔にまとめている。


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アリストテレス主義的キリスト教は、信仰と理性のあいだの激
しくも生産的な対話を支えてきた。けれども、緊張をはらんだ
信仰と理性の対話に終止符が打たれたら、世界はどうなってし
まうのだろうか?

合理主義的な思想家たちと、信仰に生きる人々の思想を特徴づ
けている方法や、関心や、基本的な概念が完全に切り離され-
-いずれの側も殻に閉じこもることによって--それぞれの陣
営が相手の世界観は間違っているとみなすようになったら、い
ったい世界はどうなってしまうのだろうか?

そのとき、合理主義者のグループと信仰に生きる人々のグルー
プは、知的な事柄をめぐる意見の対立が衝突を不可避にする場
合を除いては、心置きなく他方の見解と関心を無視するように
なるだろう。

近代になると、信仰と理性は新しい関係に移行した。すなわち
、波瀾万丈の結婚を解消して、不平たらたらの別居状態に入っ
たのだ。別居によって、いずれのグループも著しく変貌した。
疎遠になったとはいえ、彼らは定期的に会合して離婚の条件を
話し合った。ごく稀には、相手からインスピレーションを得る
こともあった。

信仰と理性が離婚に至った原因を理解することは、将来復縁す
る可能性にいささかの光を投げかけることだろう。

419頁
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▼書き忘れていたが、『中世の覚醒』の原題は、ずばり『アリ
ストテレスの子どもたち』という。この原題を引き合いに出す
ならば、イノチュウさんもまた、はるか東方で生まれた「アリ
ストテレスの子どもたち」の一人であるといえるかも知れない。

▼そういうわけで、ぼくはイノチュウさんに、1965年の『
西洋哲学史』も2003年の『アリストテレスの子どもたち』
も同じ問題意識を持っていることを確認し、そのうえで、アリ
ストテレスをめぐって生じた、信仰と理性との緊張関係は、イ
ノチュウさんの現役時代と比べて、今は軽視されてしまってい
るのではないか、とたずねた。

イノチュウさんは一言、「おっしゃるとおりですよ」と言い、
もう一言、「いまは、勉強しないんだもの」とポツリ。

また、「イデア」を「出(い)で遭(あ)い」と訳されたのに
はビックリしました、と感想を言うと、微笑みながら、「だっ
て、あれ以外に訳しようがないじゃありませんか」。

(2009年1月中旬、於:都内の井上忠さんの自宅)


▼なお、『中世の覚醒』には、まったく個人的に二つのうれし
い驚きがあった。

一つは、登場人物の一人に、本誌で何度か取り上げた、バチカ
ンに破門された神聖ローマ帝国皇帝・フリードリヒ2世がいた
ことである。

もう一つは、訳者あとがき(小沢千重子)の中で、ぼくの大好
きな堀田善衛の、『路上の人』に触れられていたことだ。こう
いう本に“出で遭う”こともあるんだなあと、しばし感懐に耽
ったことです。(堀田善衛はもっともっと高く評価されてしか
るべき作家だと思うのだが、これはまた別のお話)

▼せっかくなので、『路上の人』から引用しておきたい。カト
リックによる宗教弾圧を避けるために孤軍奮闘する騎士が、「
この世」を拒否する「異端」のカタリ派に対して、呼びかける
場面である。


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騎士はむずかしい顔をしていた。
ヨナも、余程ためらっての後に、小さな声で聞いてみた。
「どうでしたかい……?」
「平信者は解放したらどうか、とすすめたのだが、聞き入れて
くれる者が一人もなかった。救慰礼の按手(あんしゅ)をして
いた完徳者が、行きたい者は行ってよい、この騎士は悪い様に
はしないであろう、と言ってくれたが、駄目だった」

騎士の声も心なしか沈んでいた。
「何人くらいおいででしたかい?」
自分の声もがやはり畏怖にふるえているとヨナは自覚していた

「さあ、なかは暗くて、灯火は祭壇に一つだけだ。それにあの
黒衣だから、よくはわからなかったが、十五人くらいはいたと
思う」

「旦那(メセーレ)は何をお話しになったので……?」
「左様、君たちの宗派は、死と絶望の教派だ。この世を悪とし
て拒否し、肉慾を拒否し、婚姻を拒否し、肉食を拒否し、私有
を拒否し、権力を拒否し、武器を拒否し、裁判と処刑を拒否す
る。洗礼を拒否し、聖餐を拒否し、終油も拒否する。残されて
いるものは、死だけではないか、と」
「そうしたらどう言いましたか?」
「完徳者が、静かに、幽霊のような声で、“然り(オック)”
、と一言だけ言った。そう言われて何か返事の仕様があるかね
?」
「はあ……」

「だからわたしは、たとえそうであっても、人間の世界は生き
るに価値ある世界であり、生きる余地はまだまだある。山を越
えてアラゴンへ行け、迫害はあってもここほどではない。

君たちは、宗教問題だけではなく、ローマ法王と北フランスの
王との取引き、とりわけて北フランスの王の、オクシタニア支
配のための犠牲ともなっているのだ。

アラゴン王の下でということが望ましくないとあれば、もっと
南へ下って、イスラム教徒の支配するコルドバか、グラナダへ
行け、イスラム教徒は、もっと寛容である、とすすめた」

「あの豚を食わぬ連中が寛容ですかい?」
「残念ながら、ある種のキリスト教徒よりもずっと寛容である
。わたしは彼等の支配下で、キリスト教徒たちがユダヤ教徒と
も一緒に、嬉々として暮しているのを、この眼で見ている」

堀田善衛『路上の人』168-170頁、新潮文庫
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▼異端とは──堀田善衛は書いている。【】は原文傍点。


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【彼等】が異端なのではなく、【彼等】を異端とするから、異
端に【成る】のである。そうして【彼等】は、かの書に言う『
党派』であり、『肢(えだ)』なのだ。

手足である『肢』がなくて何が『体(からだ)』なものか。そ
れが存在することこそが、むしろ『体』を『体』たらしむる所
以である。

死と絶望の宗教をもつ【彼等】をも含んで、人間は素晴らしい
ものである筈だ。

『路上の人』185頁
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▼じつは、『路上の人』の物語を動かす中心にも、まさにアリ
ストテレスの著作が位置している。興味のある方は是非ご一読
を。

もう一度繰り返すが、前々回、前回、今回と取り上げたテーマ
は、海の向こうのお話ではない。天草四郎で有名な「島原の乱
」を描いた、同じく堀田の名作『海鳴りの底から』には、・・
・いや、こういう話を書いていると、きりがないから、もうや
めておく。

21世紀の人類は、あの中世の時代(といっても長大だが)の
思想史を、もっと分厚くすべきだと思う。外務省は、新人の研
修のなかで、かつて武力を使わずエルサレムを「奪還」した、
フリードリヒ2世の時代を教える文明史、文明論の時間をつく
ってみてはどうか。

独善主義の害悪を自省する努力は今、どんな智恵を使って、ど
れだけ強調しても、しすぎることはないからだ。歴史を顧みれ
ば、迂遠のように見える努力が、じつは解決へ至る道に深く有
縁であった、という事例は数多い。

あらゆる局面で独善を排する努力は、必ず「職業としての外交
」の全体を豊かにする。

(第2章 終わり)

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