omnia prius verbis experiri,quam armis,sapientem decet.
武器をもってよりは、
先ず言葉をもって万事を試みることが、
賢者にはふさわしい。
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──マスメディアとのつきあい方について、主に外交の当事者
としての経験から、また、発信者として気をつけたことについ
て、うかがいたいと思います。が、その前に。
【註】
▼「インテリジェンス」というと、「外務省のラスプーチン」
こと佐藤優さんが一躍流行らせた術語だが、東郷さんもモスク
ワ大使館政務班時代に「インテリジェンス」の戦果を挙げてい
る。
1984年2月9日、アンドロポフソ連共産党書記長が死去し
た時のことだ。「ロシア人某」との信頼関係が鍵だった。
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当時は中曽根康弘政権の時代だったが、そのうちに、東京から
出張で来る本省の幹部から「ロシア人某」の情報が、総理官邸
を含めて大きな関心をもたれるようになっているという話を聞
くようになった。
そして、二月九日の朝。すでに、早朝から、テレビやラジオ放
送は、通常の番組を変更し、荘重な音楽を流していた。ニュー
ス番組に登場したアナウンサーは、黒い背広に黒いネクタイを
していた。
ソ連共産党の最高幹部が、誰か死んだことは間違いがなかった
。しかし、誰が死んだのか。アンドロポフか──。
当時、年齢的にいつ死んでもおかしくない党の最高幹部は、た
くさん存在していたのである。大使館政務班内の空気はピーン
と張りつめ、外部とのコンタクトを持っている館員は、それぞ
れ他国の外交団や、新聞記者に電話をかけては、情報を収集し
ていた。
そんな中で、私の前の電話が鳴った。
「もしもし、東郷ですが」
「おはようございます、どうですか」
ロシア人某からだった。
「朝から、やってますよ。でも、誰の葬儀になるのか、決め手
がないんですよ」
「ほう、そうですか」
「ええ」
「……天皇陛下ですよ」
「えっ!」
「…………」
「解りました! ありがとうございました!」
いつの間にか、私の周りの政務班全体が、静かになっていた。
「アンドロポフだ」
電話を切った私の一声で、張りつめていた氷が一瞬にして砕け
、館内と本省への報告が一斉に始まった。
その後、インテリジェンスの世界で語り継がれたという、世界
に先駆けたモスクワ発の日本情報は、こうして生まれたのであ
る。
秘録107-108頁
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──対ロ交渉のなかのマスコミ対策について、最も印象深かっ
た話の一つが、「五者会議」のアイデアでした。
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この頃から、外務省事務レベルでの協議の場として、次官、政
務担当外務審議官、総合外交政策局長、条約局長、欧亜局長の
五者のみで議論する機会が増えた。
ひじょうに残念なことだったが、この夏以降のプレスへの不可
解なリークと省内分裂報道は、省内の一部の関係者が関与して
いるとしか思えなかった。参加者を制限し、本音の議論をする
ための環境を確保せざるを得なくなっていた。(中略)
(一九四五年四月に成立した鈴木貫太郎内閣では)総理、外務
大臣、陸軍大臣、海軍大臣、陸軍参謀総長、海軍軍令部長の六
者をもって最高戦争指導者とすることはすでに前内閣当時から
決まっていたが、それぞれの省庁の事務レベルで構成される「
幹事」を除く六者のみで話し合うことは新機軸であり、特にソ
連に通ずる仲介工作についての検討をこの人数限定の場で話し
合うことによって、六者の戦争終結のための基本的理解と黙示
的合意が整っていった。
祖父茂徳の遺著『時代の一面』を通じて私は、この六者協議に
かけた祖父の志を知ったのだが、同時に、人数を限定すること
によって保秘を完全なものとし、参加者の考え方を収斂してい
った経緯に関心を持っていた。
外務省内においてこの時発生していた不可解な事態を憂慮した
谷内条約局長から、この人数限定の会合の提案があった時、私
はこれを積極的に推し、政治的に機微と感ずる問題については
、以後この五者協議を開催し、方向性を見いだすことにした。
会合における本音の議論は今でも記憶に新しいし、今日にいた
るまで、ここで話し合われた内容が外に出たという話を聞かな
い。
秘録337-338頁
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東郷 祖父は、なんとしても太平洋戦争の終戦を成し遂げるた
めに、「六者協議」を行ないました。
当時は大本営──陸軍参謀総長と海軍軍令部長──の権力が強
大でした。そして、外務省の関心と、軍の関心において、唯一
、共有できる話題が「ソ連」だった。ソ連を通じた講和という
テーマを中心に、六者協議の体制をつくります。
──お父様である文彦さんの『日米外交三十年』(中公文庫)
のなかにも、「鈴木貫太郎内閣四ヶ月の前半において最も重要
な進展は、最高戦争指導会議構成員六者の会合を東郷外務大臣
がイニシエイトしたことであった」「当時は戦争終結と云うこ
とは固より文字通りの禁句であった」「この会合の重要さは特
筆されるべきものであった」(16-17頁)と書いてありま
す。
東郷 そうですね。そのころの話は、『時代の一面』でも読み
ましたし、子どもの頃、家庭でよく聞かされました。
一方、この「ソ連」というファクターによって、終戦工作が致
命的に遅れてしまうという痛恨の事態を招くのですが。しかし
、もしも六者協議がなかったとしたら、さらに終戦が遅れ、犠
牲者が増えていた可能性が高かったのではないかと思っていま
す。
ともあれ、交渉の、ある局面では、トップだけで議論し、他に
絶対に洩らさない重要性は、昔も今も変わりません。当時の北
方領土交渉においては、川島次官、加藤外務審議官、谷内・海
老原条約局長、竹内・谷内総政局長、との五者協議を行い、そ
の内容は、今も外に洩れていません。
──外務官僚時代を通して、マスメディアとの関係において、
教訓のようなものはありますか。また、マスメディアとのつき
あい方について、自分自身で決めていたルールなどはありまし
たか。
東郷 マスコミの方々との関係は、34年の間の大部分はうま
くいっていて、最後のロシア交渉の1年でうまくいかなくなっ
てしまったんですね。
自分としては、33年と、最後の1年と、自分のやろうとして
いたこと、やり方は同じだったと思います。こちらは変わって
いない。
平和条約交渉については、先ほども申し上げましたが、根本的
にロシアに対する信頼感の問題がありました。「4」から少し
でも外れるとダメ。おそらくは「0」、下手をすると「2」に
なってしまうという恐怖感と裏表になって、様々な主張が現れ
た。
それから、鈴木宗男衆議院議員に対する見方の、政局的な転換
。外務省の内部の、ある種のミスマネージメントなどですね。
私自身についていえば、対ロ交渉の責任者としての責任を果た
さなければ許されない、というプレッシャー、重みが、急激に
増してきた。交渉をとりおとさないと同時に、その進展状況の
基本的な流れを、国民に対して説明する、今流に言えば、「説
明責任を果たす」、特にプレスを通してそれを実現しようとし
たわけです。そのやり方自体は、それまでと、まったく変わっ
ていなかったと思います。
一つは、なるべく「打って出る」ということです。
──打って出る。
東郷 そう、こちらから出ていく。なるべく説明する、という
ことです。積極的に。隠さないで。
かといって、全部は説明できない。説明できないことは、はっ
きりとそう言う。この話はこれ以上できない、という時は、そ
うはっきり言う。なぜできないか、ということも、できるだけ
説明する。だけど、隠す必要のないことは、打って出る。
ふつうの状況であれば、これで、大きな流れは、絶対に説明で
きると思います。結果として、ミスリードはしない。言えない
ことは言えないけれども、大きな流れと、個別の事象について
のミスリードはしない。
情報を出すサイドからの経験から言うと、そういうことですね。
あと、「アドバルーン」をあげるためにマスコミを使う、記者
に文書をみせて、「これちょっと書いてみて」、という方法を
使う人がいますが、私は、そういうことは一度もやったことが
ないんですよ。
──あらー、そうですか。
東郷 アドバルーンをあげてプレスを使う、ということは、善
かれ悪しかれ、一度もやったことはない。ひょっとしたら、忘
れているものがあったら失礼しますけれども(笑い)。
──東郷さんは、1998年に「四島周辺漁業協定」が成功し
た要因について、「政治の強い追い風」「ロシアチームとの、
期待を遥かに上回る信頼関係の醸成」、そして「日本のメディ
アとの相互理解」を挙げています。
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元来は漁獲量の交渉とはいえ、問題は四島に直結する話である
。もしも解決案について下手なリークが行われれば、日ロ双方
の世論に火をつける危険性があった。この危険性を回避する唯
一の方法は、解決案が合意されるまでは交渉の経緯を表に出さ
ず、合意されたとき一挙にこれを説明し、双方にとって「勝者
もなく敗者もない」ものとしての理解を得る方法しかなかった。
プレス・ブリーフで私は、「船は港をでた、だが、目的の島影
は見えていない」「今回は大きな難所にさしかかりずぶぬれに
なったが、依然として島影は見えていない」「難破しそうにな
りながらも先に進んだ、動いた距離は相当あったと思うが霧が
晴れない」など抽象的な説明に終始した。
モスクワと東京でこの説明を聞いていた報道関係者各位の忍耐
に感謝したい。
秘録231-232頁
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東郷 この魚の交渉はいい例ですね。このときも、魚の交渉の
具体的な情報を出したことは一度もない。このたとえ話のポイ
ントは、ミスリードしない、交渉の中身は一切言わない、この
二つです。それでなんとか、皆さん我慢してくれた。
──ずぶぬれになったとか、霧が晴れないとか、かなり抽象的
な話ですよね(笑)。
東郷 まあ、四島周辺の魚の話でしたから。直接の領土交渉に
ついてなら、話は別だったのでしょうね。あのときのプレスは
、なにがなんでも情報をとる、ということをしなかった。
こちらからいえば、ご理解を得た。向こうからすれば、それほ
どの関心はなかった。というところで両者の思惑が一致した、
そういうことかも知れませんね。
(つづく)