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よい書物というものは、本来柔軟なものなのである。それは議
論の的になり、挑戦され、加筆されるべきものなのだ。
それは思考の戦場なのだから、戦闘の、とはいわぬまでも、小
ぜりあいの形跡ぐらいはあってしかるべきだ。
よい書物は人の心に火をつけてこそ、その本来の役目を果たす
のだ。もしその結果、読者がその本とは異なった考え方をする
ようになったとしてもである。
その本が直接のきっかけになって、同一の主題に関してもっと
よい本が書かれることは、その本にとっての名誉である。
書物とは決して人々の行動や思考の代用をするものではないし
、バランスのとれた生産的生活のすべてにとってかわるもので
はないのである。
ノーマン・カズンズ
「本がすべてではない」1952年3月8日
『ある編集者のオデッセイ』165頁
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◆今号のポイント◆-------------------
ぼくが読んだナナロク社の本は、どれも頁から生活感情が滲ん
でいる。その極め付きが『未来ちゃん』だ。あの本は、コデッ
クス装で綴じられた「生活感情の塊(かたまり)」である。
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▼銀座のブックファーストへ久しぶりに行った。久しぶりに本
についての雑感を少し書きたい。
同店は、大きなスーパーのように、荷物を置ける手押し車をご
ろごろ押して歩けるのが楽ちんだ。しかし、ついつい手にとっ
た本をそのまま手押し車に放り込む衝動に駆られる。危険極ま
りない店だ。
▼とくに文庫本の棚は見やすい。ジュンク堂よりも見やすいく
らいだ。危ない。勿論、日によって目につく本は変わる。この
日は3冊。須賀敦子『本に読まれて』と武田泰淳『目まいのす
る散歩』。ともに中公文庫。そして宮本常一『塩の道』(講談
社学術文庫)。
レジに行くと、川島小鳥という写真家の、『未来ちゃん』とい
う写真集が飾ってあった。
▼店内の、本を自由に読めるカウンターでもミニ写真展をやっ
ていた。一度目にすれば誰もが容易に忘れることのできない、
あのむっつりした顔の女の子の写真だ。「あれ、売れてます?
」「よく売れてますよ~」。レジのお姉さんが軽やかに言って
いた。
まだ、ほんの10冊くらいしか出していないが、この『未来ち
ゃん』で俄然注目され始めた新進気鋭の出版社が、ナナロク社
である。
http://www.nanarokusha.com/
「ナナロク」とは、1976年生まれの人々でつくったから、
そう名付けたそうだ。他にも、ひらがなの50音とアルファベ
ットの26音を足すと76になるとか、幾つかの意味があるら
しい。
最初に気になったのは、いまナナロク社の代表取締役を務める
村井光男が、イマココ社という会社を立ち上げて、『少年文芸
』という不思議な雑誌の編集長をやっていた時だ。
とくに、タイの漫画家ウィスット・ポンニミットのイラストを
表紙に使った号は、インパクトが強かった。谷川俊太郎の詩に
西原理恵子がイラストを描いたページも素晴らしかった。コン
トが上手なコンビ「エレキコミック」のやついいちろうが書い
た回想記は、腹が痛くなるほど笑った。
ポンニミットは2年前、文化庁のメディア芸術祭マンガ部門奨
励賞をとったが、その作品『ヒーシーイット アクア』を出し
たのが、ナナロク社だった。たしか、外国人としては初の受賞
だった。
▼谷川俊太郎の代表作『生きる』は何度も本になっているが、
ナナロク社も写真詩集を出している(写真=松本美枝子)。こ
の本は、編集とは創造なのだ、という古くからの真実に、リア
ルタイムで気づかせてくれたぼくにとって貴重な一冊だ。
▼絵本の『みみながうさぎ』(きとうひろえ)は、いい本の復
刊が出版社の重要な仕事であることを示している。
「やったな!」と思ったのが、『ぼくはこうやって詩を書いて
きた 谷川俊太郎、詩と人生を語る』だ。キャッチコピーは「
日本でもっとも有名で、もっとも知られていない詩人のすべて
」。そのとおり、今まで何故ないんだろうと浮かんでは消えて
いた空想を、そのままかたちにしてくれた本だ。
谷川俊太郎と山田馨(岩波の編集者)が16時間かけて対話し
た記録。売りだされてすぐに買った。当たり前だが、滅法面白
い。ちょっと大きな本屋の詩集の棚で、何度も見かけた。ニッ
ポンの詩の歴史を考える際、欠かせない一冊になるだろう。
▼ナナロク社は現在、社員とバイトで3、4人らしい。地方小
出版流通センターを介して商売をしているから、返本率も少な
いはずだ。ちなみに業界の返品率の平均は4割を超えている。
返本率が少ないということは、もともと店に置く数も少ないし
、書店一軒ずつのニーズを聞いて回らないといけないし、それ
ゆえの難しさがあるだろう。
いっぽう、『ぼくは~』の宣伝ページに載っている、各地の書
店員10人の声のように、実のある宣伝ができるのは、よく現
場を回っている証拠だ。楽しんで仕事をしている様が、ウェブ
サイトからも、実際の本の端々からも伝わってくるようだ。
1976年生まれということは、34歳。既刊本を眺めている
と、安定感もあり、センスもあり、しかもギラギラした欲がな
く、これらの作り手は、これまで結構な苦労を重ねてきたんだ
ろうな、と勝手に想像している。
▼ぼくが読んだナナロク社の本は、どれも頁から生活感情が滲
んでいる。その極め付きが『未来ちゃん』だ。あの本は、コデ
ックス装で綴(と)じられた「生活感情の塊(かたまり)」で
ある。
とくに、ものを食べるときの(『未来ちゃん』は食べている写
真がじつに多い)、あの警戒感と攻撃性全開の素直な顔が素晴
らしい。「ああ、この本は生きている」と、理屈抜きで感じさ
せるのだ。
彼女の時間を切り取った写真家にも、その断片を纏(まと)め
た編集者にも、等しく人生の時間が流れている。その時間の流
れのなかで、いつか等しく、必ず人生は終わる。終わるからこ
そ、この人生は愛しいのだ、という法則を感じさせる力が、『
未来ちゃん』には漲(みなぎ)っている。
『未来ちゃん』でブレイクした後、ナナロク社がどう伸びてい
くのか、どんな本をつくるのか楽しみだ。
これまでは詩集や写真集の線が伸びているが、個人的には、関
根健次『ユナイテッドピープル--「クリックから世界を変え
る」33歳社会起業家の挑戦』のような、「社会の境界線」や「
国家の境界線」を跨(また)ぐ体験をした人の手記を、たくさ
ん編集してほしい。
▼こういう出版社の勢いに触れると、なかなか行く時間はない
けれど、やっぱり本屋へ行きたくなる。アマゾンのサイトでク
リックしているだけでは、絶対に味わえない「なにか」が、物
体としての本にはある。ぼくは(そしてぼくの世代の多くは)
「それ」に触れながら大人になったから、「それ」への愛着は
おそらく一生捨てることができないだろう。
電子本の流れは、「それ」を体感できる場所を減らしていくし
、減っていく流れを止めることはできない。「それ」に慣れす
ぎたぼくにとって、この流れは少し不安だが、わざわざ止める
必要もない。
そもそも資本主義のルールに乗っていなければ、本を読むとい
う行為そのものが成り立たないし、「それ」は人間の生活にと
って必要不可欠ではない。その時代、その時代を代表するメデ
ィアが、人間の意志にかかわらず、生成されていく。
新しいメディアである電子本が、そのサイクルを断絶させるわ
けではないし、人間の成長を止めて退化させるとも思えない。
人間の知恵が退化するとすれば、もっと別の理由からだ。
▼「76文字」を駆使して、何も描かれていない紙を使って、
人にはこれだけのことができるのだ、という挑戦を、「今」、
「此処(ここ)」で繰り返す。ナナロク社のような試みが多け
れば多いほど、活字の世界は豊かになる。
逆もまた真、だろう。
ノーマン・カズンズが書いたように、次の世代から「挑戦」さ
れ、「加筆」され続けないかぎり、生き続けることができない
宿命を、「本」という存在は背負っているからだ。
銀座のブックファーストで勘定を済ませ、銀座コアのエレベー
ターのガラス越しにユニクロのでっかい看板を見ながら、そう
いうことを思った。
挑戦者に幸いあれ。
未来ちやん買いました。