2011年03月23日

3・11大震災報道雑感(その1)

----------------------------
「災害時の放送こそテレビ局の存在意義だ。そのために日頃
公共の電話を使用することを許されているのだ」

長谷川平蔵(報道部デスク)

佐々木倫子『チャンネルはそのまま!』第3巻
31-2頁/小学館
----------------------------

◆今号のポイント◆-------------------
災害時、民放の報道力は最大の「民間力」の一つだ。東日本大
震災の初動数日において、民放各局はもう少し勇気と知恵を形
にできなかったのか。それは所詮、現場を知らぬ妄想なのか。
----------------------------


▼安普請の本棚が歪み、次々と倒れてしまった部屋で、散乱し
た本の山並みに埋もれたまま、今号の文章を書いている。パソ
コンのモニターは大量の本に押し倒され傷がついたが、幸いに
も映る。きょうの東京は寒いが暖房をつけず(節電ですから!
)、少し震える指でキーボードを叩いている。目の前に『加藤
周一著作集』が波打っている。竹中労の『エライ人を斬る』が
床に転がっている。広瀬隆や高木仁三郎の本はどこかに埋もれ
たままだ。

3月11日の午後2時46分、東日本をマグニチュード9.0
の地震が、そして直後に三陸沖を大津波が襲った。22日の時
点で死者・行方不明者は2万人を超え、さらに増えている。

これに福島第一原発の爆発が次々と重なり、世界中で駆け巡る
トップニュースになった。この一週間、BBCは「ツナミ」「
フクシマズ・リアクター」「プラント」などの単語を何度繰り
返しているだろう。

▼とりあえず、辛うじて前号「ウィキリークスとジャーナリズ
ム」に関連するニュースを一つ、紹介しておこう。


----------------------------
「日本の原発耐震基準は時代遅れ」
IAEAが08年に警告か
ウィキリークス

2011年3月17日(木)20:03

【ベルリン時事】英紙デーリー・テレグラフは17日までに、
内部告発サイト「ウィキリークス」が入手した米外交公電の内
容として、国際原子力機関(IAEA)が2008年12月、
日本の原発の耐震基準は時代遅れで、大規模な地震が発生した
場合、「深刻な問題」が生じる恐れがあると警告していたと伝
えた。

同紙が引用した公電によると、東京で開かれた原子力安全保障
に関する主要8カ国(G8)会合で、IAEA当局者は日本の
原発耐震指針は過去35年間で3回しか更新されておらず、I
AEAが指針を再調査していると説明したという。

IAEAの天野之弥事務局長は16日の記者会見で、「ウィキ
リークスで伝えられたことにはコメントしない。原発の耐震基
準は常に更新するよう取り組んできた」と述べた。 

[時事通信社]
----------------------------


----------------------------
Japan earthquake: Japan warned over nuclear plants,
WikiLeaks cables show

Japan was warned more than two years ago by the
international nuclear watchdog that its nuclear power
plants were not capable of withstanding powerful
earthquakes, leaked diplomatic cables reveal.
----------------------------


▼原発関連はまた後で。


▼3月20日夕方、ぼくは河北新報の東京支社に電話した。こ
の日も、都立中央図書館の新聞閲覧コーナーにずらりと並べら
れた各紙のうち、河北新報のバックナンバーが、未だ3月11
日付で止まったままだったからだ。

岩手、宮城、福島3県の県紙を読むために、図書館に行ったの
だったが、最も読みたかったのは河北新報である。

しかし、河北新報は東京支社にも届いていなかった。「陸送の
みなので、震災以降の新聞は東京に届いていない、いつ届くか
の目処も立っていない」という。

自他共に認める「東北の新聞」である河北新報が、東京の図書
館で読めない。物理的にニッポン列島が寸断されている。福島
の二紙は無事に届いていた。岩手日報は3月10日付でストッ
プ。秋田魁は12日付で止まっていた。

▼しかし、インターネットがある。今回の大震災で最も大きな
被害を受けている地域の、最も詳しい情報を、インターネット
を通して読むことができる。

http://www.kahoku.co.jp/


▼河北新報の3月12日付社説は「絶望からはい上がるために
」と題されていた。

「人知は無力なのだ。絶望のふちに突き落とされていくような
感覚」「まず、家族と連絡がつかない。携帯電話がこんなに普
及したのに、案の定、役に立たない。通話もメールも、伝言サ
ービスもほとんど駄目のようだ」

▼号外の1面トップで「宮城2万人孤立」「東日本大震災 発
生2日目 物資窮乏」と報じたのは3月13日付。社説の冒頭
は「生きてほしい」。


----------------------------
生きてほしい。この紙面を避難所で手にしている人も、寒風の
中、首を長くして救助を待つ人も絶対にあきらめないで。あな
たは掛け替えのない存在なのだから。(中略)

「この世の地獄」としか言いようがない、むごたらしい光景に
言葉を失う。この瞬間も、がれきの下で、ビルの屋上で、孤立
した集落で、多くの人が救出を待っている。何とかしたいと気
ばかり焦るが、未曽有の天災を前にして、われわれはあまりに
無力だ。恐怖と不安に足がすくむ。それを和らげてくれるのは
、食料などの救援物資だけではあるまい。寄り添う他者が居れ
ば、折れそうな心が生き返る。勇気も湧いてくる。(中略)

ページ数は減っても、新聞を読者の元に届けることに全力を挙
げる。正確な情報は危機を乗り越える最大の武器だからだ。落
ち着いて、希望を失わずに。生き抜いてほしい。
----------------------------


▼同日付のコラム「河北春秋」は、

「泣きたい。けれど、なぜか涙が出てこない」

という一節から始まっていた。


----------------------------
泣きたい。けれど、なぜか涙が出てこない。喉までこみ上げて
は、みぞおちへと落ちる何かが胸をかき乱す。ぼうぜんとして
現実感が薄れていく▼あまりの衝撃に遭遇した時、人はそんな
状態に陥りがちだ。前代未聞の巨大地震から2度目の朝を、い
まだ大勢の人々が心の混乱にさいなまれつつ迎えたに違いない
▼情報が欲しい。しかし、知った惨状が恐怖を増幅し、心をな
えさせるジレンマ。亡くなった人、行方が分からない人。情け
容赦なく増えていく数字に慄然(りつぜん)とする

(中略)

打ちひしがれ、絶望のふちに沈みそうな心を少しでも救えると
したら、それは互助のぬくもりではないか。自然の前に無力で
も、人は支え合う力で強くなれる。いや、ならなければ。これ
からの長い闘いを乗り切っていくために。
----------------------------


▼社説は連日、インパクトのある書き出しが続く。3月14日
付。


----------------------------
思わず言葉をのみ込んでしまう被害の惨状が、なおも次々と明
らかになっていく。住民約1万人と連絡が取れない太平洋沿岸
の町がある。無情にも積み重なる死者・行方不明者の数字は一
体どこまで膨らむのか。(中略)

疲労が心身にべったりと張り付いてきている中でも、避難所で
、自宅で言葉を掛け合い、いたわり合いながら、前を向き、こ
の苦難を乗り越えていこう。
----------------------------


▼「南三陸に1000遺体」「宮城県警 石巻・女川でも10
00遺体」「宮城県、被災者疎開を検討」と報じたのは15日
付朝刊。

▼岩手日報は同日付論説に「県紙として 全力で使命果たした
い」と見出しを掲げた。


----------------------------
(前略)当社も大船渡、陸前高田の両支局が損壊。地震の影響
で通常の紙面は印刷できず、災害協定を結んでいる東奥日報社
(青森市)などの協力を得て、4ページの特別紙面を発行でき
た。

大震災翌日など、配達時間が大幅に遅れ、読者各位にご迷惑を
おかけしたことを心からおわびしたい。

この未曽有の大災害を県民に伝え、ともに立ちあがるために、
県紙としての使命を果たしたいとあらためて誓っている。

特にも、まず被災地に紙面を届けたい。被災や救助の状況など
、各地のさまざまな情報を今、最も必要としているのは被災し
た方々だと思うからだ。

現在も県内全域で5万人近い被災者が避難を続けている。被災
者や、全国の肉親、知人が最も知りたいのはまず、安否情報に
違いない。

本紙は14日付朝刊から、各地で避難している方々の名簿を入
手し、掲載を開始した。(中略)

本紙はこれから毎日、名簿を入手できた避難者の氏名や住所を
掲載する。

配達網は万全とは決して言えないが、各方面の協力を得て、避
難所に新聞が届くように懸命に努力を重ねている。紙面を通し
て肉親や知人らの安否確認に役立ってくれることを願っている。

また、災害報道と同時に、救援物資や医療福祉、小売店、金融
など生活情報も、ぜひ参考にしてほしい。

被災地では、各地に取り残された被災者の救助作業が懸命に続
けられている。

避難生活は長期化が予想される。現地からは食料や水、医薬品
、紙おむつ、ミルクと哺乳瓶、厚手の毛布などを求める声が届
く。こうした声を県民に伝え、被災者に寄り添う力になりたい
と願う。
----------------------------


▼この日、日本テレビはゴールデンタイムに「踊る!さんま御
殿!!」を放映した。そのうち他の民放も次々にバラエティ番
組を放映するようになった。ぼくは「数万人が孤立している段
階で、早過ぎる。他に報道することがあるのではないか」と思
った。

あの時点で、わかっているだけで2000を超える避難所に、
50万人前後の避難者がいた。さらに「どこに誰がいるのか」
「何人いるのか」「何が必要なのか」等々、人命救助に必須の
情報の、そのどれもわからない場所が、幾つあるのかすら把握
できていない段階で、民放のジャーナリストたちに、民放が持
っている何機ものヘリコプターに、幾つものカメラに、マイク
に、もう少し出来ることはなかったのか。もう一歩、行くべき
場所はなかったのか。

▼のほほんと読んでいた佳作コメディ『チャンネルはそのまま
!』に、放送法が引用されていた。

「災害の場合の放送」と題された第6条の2。


----------------------------
放送事業者は、国内放送を行うに当たり、暴風、豪雨、洪水、
地震、大規模な火事その他による災害が発生し、又は発生する
おそれがある場合には、その発生を予防し、又はその被害を軽
減するために役立つ放送をするようにしなければならない。
----------------------------


▼どれほどインターネットが発達していようと、今、マスメデ
ィアとしての波及力はテレビの比ではない。そのことを一番知
っているのはテレビの中の人だろう。

携帯電話も一切つながらず、iモードすらつながらず、幾万枚
の伝言メモが避難所に貼られている情況のなかで、民放各局に
所有が許されている公共の電波は、もう少し「被害を軽減する
ために役立つ放送」が出来なかったのか。NHKだけでは到底
カバーできるはずもないのだ。

しかし、ぼくはテレビ報道の現場を何も知らない。所詮は儚い
妄想なのかもしれない。稀代のコメディアンであるさんまの笑
顔を目にして、普段のリズムに戻ったことで、一安心した視聴
者もいただろう。テレビ番組の選択肢が少ないことも、ぼくが
感じるやりきれなさの一因かも知れない。

河北新報の報道に戻ろう。


▼「入院の6人死亡」「不満と恐怖 地元限界」「物資ストッ
プ『見殺しに等しい』」「被災地 無情の雪」「岩手 避難所
 風邪まん延 高齢者、子ども 背中丸く」「底冷え 浅い眠
り 宮城 布団重ねしのぐ」と報じたのは17日付朝刊。

この日の社説に、ぼくは涙を禁じ得なかった。その冒頭は、

「足りない。あらゆるものが不足している」

と始まっていた。「なんとしてもペンで郷土を救う」という「
執念」が、そのまま「形」になった文章である。一文の無駄も
ない。全文を引用する。


----------------------------
東日本大震災不足を乗り切る/地球規模の支援が必要だ 

足りない。あらゆるものが不足している。

東日本大震災から6日がたった。マグニチュード(M)9.0
の史上最大級の揺れは、かろうじて生き永らえた人に過酷な生
活を強いている。

はっきりしていることがある。一人一人が独り立ちする「自助
」は、既に限界に達している。地域で支え合う「共助」も、弱
った被災者同士ではもろさを抱えたままだ。行政による「公助
」も機能不全に陥っている。

セーフティーネットが破れた今、「助けて」という叫びをどこ
に向けて発すればいいのか。

被災を免れた地域の人々にお願いしたい。どうか救援の手を差
し伸べてほしい。これは「国難」と言っていい。国境を超えた
支援も不可欠になっている。

生存の最低条件は水と食料だ。しかし、これが絶対的に不足し
ている。

村井嘉浩宮城県知事が「県民全体が食料不足になっている」と
の厳しい認識を示した。県によると、県内約1200カ所に依
然、計23万6千人余りが避難している。「1日1人1食」と
いう極限状態の生活を余儀なくされている人も多い。

肉親や家屋を失い、途方に暮れているところに、ひもじさと真
冬並みの寒さが追い打ちをかける。生きる希望をつなぐために
も「食」を絶やしてはならない。

暖を取るための毛布や灯油、医薬品、ガソリン、おむつ、仮設
トイレ、ラジオ…。必需品は枚挙にいとまがない。

13日付の本欄で「共助の精神で生き抜こう」と呼び掛けた。
沖縄の地元紙「琉球新報」がこれに呼応して、翌日の社説で「
共助の精神は、独り東北地方だけのものではないはずだ。今こ
そ国民を挙げて最大限の支援をしたい」と訴えた。

ブラジル・サンパウロ在住のジャーナリストはブラジル宮城県
人会関係者の励ましの声を取材し、メールで届けてくれた。

ありがたいことだ。義援金を募る輪も国内外に広がっている。
だが、今は一刻を争う。無礼を承知で言えば、厚意を具体的行
動で迅速に示してほしいのだ。

阪神大震災では全国各地からボランティアが駆けつけ、支援に
当たった。今回は東日本全域に被害が広がり、爪痕も深い。「
志民」が近づくことは容易ではない。

全国各地から自衛隊員や消防隊員らが被災地に入っている。米
国、韓国、ニュージーランドなどの救援隊も献身的な活動を繰
り広げている。それでも、人手が絶対的に不足している。

神戸市職員53人が15日、仙台市に到着した。新潟市からも
2004年の新潟県中越地震を経験した職員ら100人が同市
に入った。被災を免れた自治体にお願いしたい。1人でも多く
派遣してほしい。

交通網が寸断されているため、物資の輸送がはかどらない。官
民のヘリコプター、船舶をかき集めても足りないかもしれない
。諸外国の支援を仰ぐべきだ。

いま必要なのは地球規模の「共助」だ。諦めず、何度でも「H
ELP」と叫ぼう。

2011年03月17日木曜
----------------------------


▼この惨状は、今は幾許か改善しているが、残念ながら程度の
問題である。

18日付の1面トップは「仙台港に救援物資」「東日本大震災
1週間 仙台空港も利用再開」「燃料需給 緩和へ」。

社説の見出しは「東日本大震災 孤立救おう/全ての知恵を寄
せ合って」。


----------------------------
数百人単位で取り残されている新たな情報が飛び込んでくる。
警察や行政が気付けないまま孤立状態に置かれている人たちが
、まだ多いのかもしれない。大震災から6日が過ぎてもそう思
わせる。

道路の寸断どころか津波が行政庁舎までも破壊し、緊急通信手
段が全然使えなくなってしまった。陸地が海になり地形そのも
のが一変して、逃げて出て来ることもできなければ、救助に入
ることもできない。

震災時に集落が丸ごと孤立する危険性を、どうしたら防げるか
。政府や地方自治体がその問題意識を全く持っていなかったわ
けではない。専門的な知恵を借りた取り組みがそれなりに進め
られてきたはずだった。

これまでの経験の蓄積で対応できる生易しい事態ではないこと
は確かだが、情報を寄せ合い、孤立被災者の救助、掌握にさら
に力を振り絞ってほしい。
----------------------------


これに「孤立集落化」の具体的分析が続く。

▼19日付社説は「医療支援急ごう/チームが動きやすい環境
を」。以下は「河北春秋」の冒頭。

「春の彼岸というのに雪が積もり、何という寒さだろう。地と
海の残酷に追い打ちをかける天の非情、さらに原発の放射能の
恐怖。むご過ぎる運命を恨む日が続く」

▼20日付1面には社告「読者の皆さんへ 難局をともに乗り
越えよう」。


----------------------------
東日本大震災は、東北に未曽有の被害をもたらしました。犠牲
者の方々にお悔やみを申し上げるとともに、被災された多くの
方々に心からお見舞いを申し上げます。

河北新報社は、世界最大級の巨大地震、大津波がもたらした震
災の実情を全社一丸となって取材・報道し、販売関係者は「何
としても紙面を届ける」という覚悟で配達に努めています。

途絶した電気やガス、水道、交通などのライフラインの修復は
緒に就いたばかりで、各家庭、避難所にも食料や燃料の供給が
ままならない状態が続いています。頻発する余震、そして福島
第1原発の危機的事故と、不安はまだまだ消えません。

東北の人たちと、ともに歩む河北新報は、暮らしを根こそぎに
した震災を懸命に伝えることで、苦悩や悲嘆を乗り越え、あす
への希望を立ち直りへの力につなげていきたいと考えます。

復興までの闘いは、困難を極め、長期にわたるでしょう。河北
新報社は、新聞製作、輸送、配達を通じて、皆さんと一緒に難
局を克服し、未来に向け進んで行くことを、あらためてお誓い
申し上げます。
----------------------------


▼同日付の社説は、またも冒頭から印象的である。


----------------------------
思えば、国会で「命を守りたい」と高らかにうたい上げた首相
がいた。「友愛」が金看板だった。後継者は「最小不幸社会」
を唱える。市民運動出身者らしい目線の低さを期待した。

東日本大震災を経て国の指導者の言葉はあまりに軽く、そして
むなしい。無数の命が失われ、この世のものとも思えぬ不幸が
眼前に広がる。

それでも、被災者は「政治は、政治家は何をしているのだ」と
いう怨(えん)嗟(さ)の声を押し殺す。不信を並べ立てれば
、かえって復興への意欲がなえることを知っているからだ。

(中略)

11年度予算案は成立する見通しだが、関連法案の行方は不透
明だ。とりわけ、歳入の裏付けとなる公債発行特例法案が通ら
なければ、予算の執行に支障を来す。野党は「緊急事態と関連
法案は関係ない」と対決姿勢を崩していないが、ここは譲歩の
場面ではないか。英断を望む。

(中略)

岩手県の達増拓也知事が政府機関「東北復興院」が必要との考
えを示した。東北ががっちりスクラムを組んで国を動かすこと
もまた、政治の役割である。
----------------------------


▼なおも21日付には「窮迫する医療現場」「水・医療品・食
料・燃料」「物資欠乏 危機的に」「多賀城・仙塩病院 入院
患者死亡12人に 停電・断水 転院進まず」等の見出し。

ようやく22日付1面トップに「物資輸送 本格化へ」「東北
道 大型車の制限解除」の見出しが躍った。

連日続く膨大な「生活関連情報」。同日付夕刊には、「学校」
「安否」「電気」「バス」「宅配」さらに「支援」「伝言板」
「義援金」「遺体安置所」などの項目で一面がびっしりと埋め
られている。


▼東日本大震災は、「東京が揺れたから」地震・津波が大きく
報道され、「東京が被爆するから」福島第一原発が大きく報道
された側面がある。報道する人たちの大半が東京に住んでいる
からだ。そこが阪神・淡路大震災との違いの一つだろう。

だとすれば、余震がおさまるにつれ、必然的に、構造的に、地
震と津波の凄惨な被害--いつまでも続く苦難--は忘れ去ら
れ、刻々と変化する原発報道が相対的に巨大になる。事実、全
国紙もテレビも、そう傾いている。当たり前の推移だ。

▼だから、東日本大震災の実相を知りたい、知り続けたいと強
く思っている人に、ぼくは、岩手日報、河北新報、福島民報・
福島民友などをこそ読むことを勧める。

この文章を読んでいる人は、ほぼ例外なく、これらの主な記事
をインターネットで造作なく読むことができる。その代表とし
て、今号では河北新報に焦点を当てた。

絶望している人々の隣で生き、自らも絶望の淵で揺らぐ記者た
ちが、その命を使って記し続けるブロック紙、県紙にこそ、復
興への道程が刻まれていくはずだ。新聞に限らず、ぼくは被災
地の報道人たちに尊敬の念を表する。健康を祈る。

わが国の希望は今、貴方たちの日々の言論に託されている。
その一文が、その一言が、必ず、未来の鑑となる。
    • 0 Comment |
    • 0 Trackback |
    • このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    • Edit

この記事へのトラックバックURL

 

トラックバックはまだありません。

コメントはまだありません。

コメントする。

絵文字
 
星  顔