2009年05月18日

東郷和彦14/「独善」を避けよ!


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jus summum saepe summa est malitia.

極端なる正義は、しばしば極端なる邪悪なり。
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【14~「独善」を避けよ!】

──『歴史と外交』では、河野談話や村山談話が一つの均衡点
として働きうると考えておられますね。しかし、実際にはなか
なか作動しない。日本社会は、公的な決定を軽んじがちなので
しょうか。

東郷 その問題提起は、少し違うと思います。

村山談話にしても河野談話にしても、政府の公的な決定ですが
、歴史問題でいえば、おっしゃるとおり、これらは「中道」の
役割を果たすと私は考えています。外交とは、中道に就くこと
です。少なくとも私はそう思っています。

しかし、そうは思っていない人がいて、潰そうとする。先日、
アメリカ大使を務めた村田良平氏の本が出版されましたが、村
山談話や河野談話を“潰さずにおくものか”という思いのこも
った内容でした。これには、世代の問題もあると思いますが。

こうした動きは、公的な決定を軽んずるというよりも、「公的
な決定の中身がおかしい」という意見のもとに、“確信犯”と
して述べられている。

日本社会の一般的な問題として、公的な決定を軽んずる社会か
、といえば、そうは思いません。世界の様々な社会秩序のなか
で、日本は“親方日の丸”で、むしろ、一度決めたことはなか
なか変えられないですね。

この関連で申し上げると、戦後日本の中の「公」の欠如には、
深刻な問題があると思う。

──ええと、公的な決定を軽んずる、というよりも、「公」そ
のものが壊れている、というか、部分的に存在しない、という
ことですか。

東郷 そう理解していただいても結構だと思います。ここで申
し上げている「公」とは、公的な政府の決定とか、そういうこ
とではなくて、世の中に定着している倫理であり、倫理に内在
している、自分個人の権利についての考え方、また、民主主義
の根幹をどう理解するか、ということです。

自分個人の権利をどこまで主張するか。社会全体の善のために
、個人の権利をどこまで抑制するか。戦後の民主主義は、社会
全体の善、公共の福祉、最近の流行りの言葉でいえば「公(お
おやけ)」、これが軽んぜられるようになった。私は、これが
戦後の民主主義の、最も根本的な欠陥だと思います。

それでは、その「公」というものは、いったい何なのか。もし
も「公」が欠如していると思うならば、それは何なのか。回復
するためには、どうすればいいのか。これが今後、私がおこな
っていく議論の根本になると思います。


【註】
▼佐藤優さんは『秘録』の解説で、次のように指摘している。


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これからの対ロシア領土交渉は、国民に外交秘密に触れないぎ
りぎりのところまで説明して、公共圏での議論を経て、理解を
得た上で展開すべきなのである。

420頁
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▼尤だと思う。そして、その公共圏そのものが壊れてしまえば
、もはや議論も糸瓜(へちま)もなくなってしまうわけだ。


──『歴史と外交』のなかで、道義的な敗北、という言葉が使
われていますね。道義心と呼ばれるものと、「公」の欠落との
関係について、どのように考えておられますか。

東郷 うーん、それはいい質問であり、かつ難問ですね(笑)
。「公」の欠落、それは、道義心の欠落につながっていくと思
います。しかし、日本の現状で、私が問題としたい「公」とは
何で、それがいかなる意味で道義心につながっていくのか、明
快にお答えするためには、さらに考え、深め、整理していかね
ばなりません。

──東郷さんが、道義的に勝つ、という考えを外交の中心に据
えたきっかけは、「51対49」の考えでしょうか。

東郷 「51対49」というのは、本来、道義心の問題ではあ
りません。むしろ、外交を実践していくとくいの国益とは何か
、どちらかといえば、外交リアリズムに徹した思考だと思いま
す。だが、同時に、高度の、道徳性も備えている。根底におい
て繋がっているということでしょう。


【註】
▼ここで、「51対49」という、聞き慣れない言葉が出てき
た。これは、『北方領土交渉秘録』を読んだ人ならおわかりの
とおり、あの本を貫く最も強いメッセージである。また『歴史
と外交』の底流にも流れている考えである。

それは、こういう話だ。


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(領土問題について)ほんとうに真剣に考えるということは、
返還運動の錦の御旗を高くあげるだけではない。領土問題の解
決を推進するために何が実現可能なのかを見極める柔軟な視線
を持つことが不可欠となる。

こうした事柄を考える時、私には忘れえぬ出来事がある。

祖父茂徳の一人娘である母いせは晩年に癌を患い、一九九七年
夏、すでに死の床にあった。

七月の末、たまたまベッドの脇にいた私に、母はふいに、祖父
が外交の仕事で何が一番大切だと言っていたのか知っているか
と問いかけてきた。

一瞬、答えに窮していると、母は「交渉で一番大切なところに
来た時、相手に『五一』を譲りこちらは『四九』で満足する気
持ちを持つこと」と言った。

その答えは私には意外に思えた。

祖父は、交渉においては不屈の意志と徹底したがんばりを貫き
通した人物だった。ノモンハン事件の事後処理に際してはソ連
のモロトフ外務人民委員とぎりぎりの交渉を繰り広げ、太平洋
戦争末期には「国体の護持」を唯一の条件として戦争終結を主
張し、徹底抗戦を唱える主戦派をねばり強く説得し続けた。(
中略)

当惑した私に母は、「外交ではよく、勝ちすぎてはいけない、
勝ちすぎるとしこりが残り、いずれ自国にマイナスとなる。だ
から、普通は五〇対五〇で引き分けることが良いとされている
でしょう」と続けた。

「でも、おじいちゃまが言ったことは、もう少し、違うのよ。
交渉では、自分の国の、眼の前の利益を唱える人はいっぱいい
る。でも、誰かが相手のことも考えて、長い目で自分の国にと
って何が一番よいかを考えなくてはいけない。最後のぎりぎり
の時にそれができるのは、相手と直接交渉してきた人なのよ。
その人たちが最後に相手に『五一』あげることを考えながらが
んばり通すことによって、長い目で見て一番お国のためになる
仕事ができるのよ」

この会話から数日たって、母は他界した。

秘録389-391頁
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──「道義的敗北」をめぐる質問を続けますが、『歴史と外交
』で使われている「勝つ」という言葉の意味は、「勝ち組」「
負け組」という意味の勝つ・負けるとは、まったく違いますね
。どういう意味なのでしょう。

東郷 外交官は、国際社会のなかにおける日本、という問題意
識をもって考えざるをえないわけです。簡単に言えば、「勝つ
」とは、世界の中で尊敬される日本になっていく、ということ
です。

そのためには、もちろん日本が経済的に惨憺たる状況では困り
ます。日本人一人一人の生活が、物質的、精神的に豊かになら
ないと。

しかし、それだけではダメなんですね。それに加えて、国際社
会のなかで「日本は素晴らしいな」「尊敬できる国民だな」と
認識される、それが「勝つ」ということです。「公」の欠如を
回復する、という努力は、これと直結していると私は思う。

いまの日本は、単なるリアリズムや、パワーだけではなく、国
の進む方向を定める「価値」が決定的に重要です。それをはっ
きり示すことで、国際的に尊敬されるという形が見えてくる。
その価値は、国際的に通用するものでなければならないが、国
際社会から受動的に与えられるものでもない。日本自身がつく
りあげるものではないでしょうか。

そうやって考えてみると、国際社会へ打って出るうえで、根本
的な出発点、最も重要な条件があると思います。

──それは何でしょう。

東郷 その一つは、「独善的ではない」ということではないで
しょうか。

──独善、ですか。

東郷 そうです。独善的ではない、ということ、すなわち、「
相手がある」という現実を理解する、ということですね。

相手の立場があるのです。異なった立場、異なった価値、異な
った利益をもっている相手があって、彼らもまた尊重されるべ
き主体であり、アクターである。「51対49」のエッセンス
は、ここにあるわけです。

そうして、外交において、最後にそのこと──相手がある、と
いうこと──をわかっているのは、誰なのか、ということなん
です。それは、それまで相手といちばん叩き合ってきた、外交
の前線にいる人でしょう、と。

その人が、相手のことを自身の国内に伝えずして、いったいな
んの存在意義があるか──これが、「51対49」の発想です。

──茂徳さんも、ハル・ノートを巡って、「外交には相手があ
る」(『時代の一面』中公文庫378頁)と、アメリカのやり
方を批判されていますね。


【註】
▼「51対49」の話の引用を続けよう。以下の話はそのまま
、「職業としての外交」の定義となっている。


――――――――――――――――――――――――――――
それから折に触れ、私は、東郷茂徳にとって「五一を相手に譲
り、四九をこちらに残す」ということが、何を意味していたの
かを考えるようになった。

明らかに、ここでいう「五一対四九」とは、足して二で割ると
か、大体半々くらい譲歩するとか、そういうことを意味しては
いなかった。私には、母が死の床から述べていたように、それ
は交渉がぎりぎりの時点に来たときに、自分の立場だけではな
く、相手がどういう立場にたっているかを理解する意志と能力
の問題であるように思われた。

第二次世界大戦開戦の経緯に照らせば、交渉の最終局面でアメ
リカがハル・ノートによって自国の全条件を日本に飲ませよう
とした態度は、この茂徳の考えからすれば、まさに、あっては
ならない外交態度のように感ぜられた。

終戦に際しては、茂徳は国体護持の一条件でポツダム宣言を受
諾すべしとして軍部の追加三条件に徹底して反対したが、当時
の日本の国内状況を考えるならば、もしかしたらそれが、連合
国側に「五一」を与える覚悟をもって対処したことなのだろう
かとも考えた。

この「五一対四九」というテーゼは、ほんとうに真剣に交渉に
取り組んだ経験がある人には、それぞれ思い当たる点があるの
ではないだろうか。

私自身の経験で考えても、成功した交渉には確かに交渉のどち
らかの当事者に、または両方の当事者に、相手のことを考える
という気配が色濃く存在していた。

父、東郷文彦も交渉当事者は、「交渉が半ばを越してだいたい
の輪郭が浮かび上がって来るころになると、今までいわば敵で
あった交渉相手が今度は後ろを向いて自分の国内の説得にかか
る」と、だいたい同じ考え方を述べている。

一方、失敗した交渉においては、例外なくどこかの時点で、相
手にとって何が肝要であるかについて慮らなかったり、相手が
譲歩の兆しをみせたときに、自分の国の利益をさらに一歩取ろ
うとする思惑が働いていた。

私は、日ロ間の交渉は、まさにこの失敗の事例に当てはまると
思う。五回もの機会の窓がありながら、日ロ間で何故問題を解
決できずにきたのか、その理由を一つ挙げろと言われれば、私
は双方の交渉当事者に、相手の立場を勘案しながら実現可能な
打開策を積み上げていく勇気と決断がもう一つ欠けていたと答
えたい。

今後、もし武力をもって北方領土を取り戻す、少なくとも武力
による威嚇を背景とした交渉をする政策に転ずるなら、話は別
である。しかし、交渉によって事態を解決したいのなら、私は
この「五一対四九」という精神には普遍の真理があると思う。

そして、それ故に領土問題のように、根底に日本国民の傷つい
た心情と、そこに端を発する国民の怒りが存在するような交渉
は、おそろしく難しいものになってしまう。

だが、我が日本国がほんとうに「交渉によって領土問題を解決
しつつ」これからの対ロ関係を進めていきたいのであれば、前
線に立つ外交当局者はもちろん、国内において交渉を後押しす
るオピニオンリーダー、マスコミ、ひいては日本国民にも、ど
うかこの「五一対四九」という精神を理解していただきたいと
思う。(中略)

交渉がぎりぎりの局面に来たときに、場合によっては自分一人
にしか見えない相手国の現実が見えてきたときにも、その現実
を視界から放擲することなく、その時点で実現可能な施策を立
案し、献策する勇気を持って欲しい。

外交の本旨は、国家と国民の利益のために貢献することにある。

変化する現実の中で国家と国民の利益に最も応えると信ずる施
策を立案し、その実現のためにたゆまぬ努力を続けていくこと
が、国民の前に、職業としての外交の意義を示すこととなる。

私は、そう確信する。

秘録391-394頁
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▼「場合によっては自分一人にしか見えない相手国の現実が見
えてきたとき」──、つまり自分自身が問われたとき、何を、
どう決断し、どうふるまうのか。

その答えは、学校で学べるものなのだろうか。つまり技術とし
て普遍化でき、共有できるものなのだろうか。

こればかりは、然りとも、否ともいえない。

(つづく)

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