2011年06月22日

原発に夢中06~点と線と面

◆今号のポイント◆-------------------
福島第一原子力発電所の事故は、はたして組織をあげて飽きさ
せた人々の責任だろうか。それともいつのまにか飽きた人々の
責任だろうか。誰の責任なのだろうか。さかのぼろう。
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▼原発作業員を巡る報道もまた、「飽きていく」という人の世
の常の中にある。そのことを前号で書いた。前号で書いた事は
それだけではないが、今号はそれを起点にもう少し考えよう。

「飽きていく」からといって、「だから原発を推進していい」
わけではない。しかし実際は、まさに飽きたから、原発は推進
された。飽きていなくても原発は推進されただろうが、少なく
とも今のかたちとは違っていた可能性がある。

福島第一原子力発電所の事故は、はたして組織をあげて飽きさ
せた人々の責任だろうか。それともいつのまにか飽きた人々の
責任だろうか。誰の責任なのだろうか。【さかのぼる】と、よ
くわからなくなる。しかし、さかのぼろう。

少なくとも、圧倒的に「上からの」情報に依った現在の報道か
らわかることは、僅かなことでしかない。

▼1979年刊の『原発ジプシー』や1983年刊の『原発の
ある風景』などを読むと、この30年間、なぜ誰も止められな
かったのかという疑問に、深く沈んでしまう。

ぼくはこれらの本をはじめ、広瀬隆の『東京に原発を!』など
の著作も読んでいた。面白かった。えれえ分厚い『高木仁三郎
著作集』も読んでいた。偉い人がいるもんだと感心した。読ん
で知っていたのに、ほとんど何もしなかった。本誌のバックナ
ンバーでは、浜岡原発の危険性について少しだけ触れている。
でも、それだけだ。

本誌のもともとの編集主旨はそこになかったから、べつにそれ
でいいのだが、「公共性」について考える、と掲げたくせに、
その考えが甘かったことを思い知らされた。

▼3月11日から一ヶ月ほど経って、ようやく、今回の大震災
でどの次元の「底」が抜けたのか、考えがまとまり始め、三ヶ
月ほど経って、ようやく書き始めることができた。

何故、知っていて、知らんぷりができたのだろう、と自問せざ
るをえない。しかも、そういう類の社会問題は、他にも幾つも
あるだろう。

▼鎌田慧は「反対といいつつ、原発体制に冒されていたのだ」
と書いた。この人にして、この言あり。ぼくは深く項垂(うな
だ)れるしかなかった。

「原発に反対してきた、といっても、なんの言い訳にもならな
い。それは敗戦のあと、戦争には反対だったんだ、と弁明する
のに似ている。結局、戦争を止める力にはならなかった」とも
書いている。

http://gyazo.com/cbb2481883aca2653553c088200db091.png

なるほど。こういうものだったのかもしれない、戦争に負けた
後の気持ちは。

▼いつの間にか、ぼくは“無関心という名の牢獄”に入ってい
た。この牢獄は、行動のきっかけとなる自意識そのものを萎(
な)えさせる。

▼今の報道情況は、珍しいことが起こったから、驚いているに
過ぎない。と書くと心ある人から猛烈に叱られそうだが、大き
な流れは、そうだろう。

尤も原発を巡る報道は続いている。殆ど見られないのは、何度
でも書くが、作業員に関する報道だ。被曝の基準を超えた作業
員が2人になった、いや10人近い、などという情報は、「今
」「此処」だけを追った“点”だ。

もちろん“点”は大事だ。“線”も“面”も膨大な“点”から
成る。しかし“点”だけを見ていると、“線”も“面”も見え
なくなる。

見えなくなっていることを自覚できるうちは、まだいい。その
うち、“線”や“面”がある、という前提そのものを忘れてし
まう。

そして、忘れると同時に、“点”を追っているだけで、あたか
も問題の全体がわかっているような気になってしまうのだ。“
点”だらけの今、原発の“背景”が見えにくくなっている。

誰か、深く潜り始めていないだろうか。『ハチワンダイバー』
のように、電力会社と無数の下請け企業の盤目をかいくぐり、
原発作業員の、その家族の生活感情の海の中へ。

誰か、記録し始めていないだろうか。新進気鋭のナナロク社の
快作『未来ちゃん』(川島小鳥)のように、作業員たちの暮ら
しに息づく、日々の哀歓を。

▼TBSの金平茂紀が、福島原発で働く作業員たちに取材した
映像が、dailymotionで見れる。いつ消えるかわからないから、
早めに見ることをオススメしておく。

「福島原発作業員が実名で語る“過酷”」

http://www.dailymotion.com/video/xj8m3f_yyyyyyyyyyyyy-yy_news

(15分弱。現在252回再生)

▼この映像のなかには、自身も被災し、一歳のわが子が行方不
明になりながら、孫請け会社の作業員として原発で働く男性が
出てくる。「生活しなきゃなんない」から仕方なく働いている。

作業の説明の際、東京電力から自分の健康は「自己管理」せよ
と説かれ、「(暑いときは、マスクは)ちょっと開けるくらい
ならいい」とも言われ、まだ給料をいくらもらえるかわからな
い。現場の混乱の幾分かが伝わってくる。

▼また、悪性リンパ腫で夫を亡くした妻も証言する。沖縄出身
。亡くなった夫は沖縄から8つの原発に5、6年通い、53歳
で亡くなる前には70歳か80歳の老人のようになっていたと
いう。入院する前、家で鼻血を出し、風呂では血の塊を吐いた。

死から3年後の2008年、悪性リンパ腫としては初の労災が
認定されたという。彼が「初」である、という事実自体が、原
発の労働環境がいかに異常かを証明しているし、いまいちばん
必要な報道はこういう「点」から「線」、「面」を描くものだ
とぼくは思うが、この突破口を開こうとするメディアは少ない。

(つづく)


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